条里痕跡の例@津島地域    復元 WorkShop   2012・03・03 再建
                                                      2015・02・18 大改訂

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    手法を説明する意味からも、具体的な例を示すのは無駄でないと思う。

    
< 具体例 1 >  動かぬ証拠

   岡山市の津島地域は、全国的に見ても判り易い例であると思われる。 この地には明治の末年に第十七師団が置かれ、約50年続いたその跡地は岡山大学敷地や県営総合グラウンドとしてとして引き継がれ、中途半端な開発から免れた。 皮肉なことであるが、大学として、県営運動公園として有効活用のための再開発が進むにつれて、地下に眠っていた遺構が目覚める。  ここでは、その 『動かぬ証拠』 として 「発掘成果」 を紹介することになる。

  従来の研究で、既に、旧練兵場=現在の県営総合グラウンド(津島)が条里制の 「高山里」 と呼ばれる区画=「一里」 にほぼ相当することは知られていた。 この場合の 「里」 は距離でなく、面積の単位で一辺が約654mの正方形を指し、その頭に名称を付けて固有名詞とすることがある。

  この間の状況を示す図として、岡山県教育委員会の発行の 『津島遺跡 発掘調査・40年のあゆみ(2004年)』 の図を引用すると、

     

         図1 津島遺跡周辺の条里の郷と里境
      <WEB開設者の註: 印刷図版の南北方位がずれていたので補正した。
       また、赤と青のラインは説明のため、南および西に道路の幅程度ずらして
       引かれているようである。
       画面下端の東西線は 「奉還町(商店街)」 の中央通り=旧山陽道に当たり、
       これが 「里境」 をなしていることが判る。>



       

       図2 発掘された条里溝の遺構
     県営グラウンド開発時(2000年前後まで)に得られた溝の遺構(赤丸印)を基に
     「里境」 線を復元した詳細図。
     <WEB筆者の註: 東西線は正方位だと仮定して、微細修正。南北線は発掘
      成果を重視したのであろうが、南北を示していない(!) >

  ここでは、これ以上詳しくは論じないが、津島郷と伊福郷の境界の 「里境」 を東に約1km伸ばした地点で、「大溝」=「里境」 が発掘されている。 ここに至るのラインは今でも用水を伴った細い道(軽自動車がようやく通れる程度の)として保たれている。 現在の岡山放送KK敷地の南辺を通り、JR津山線踏切 「農事試験場」 を経由して東に進む。 また、このラインを西に進むと、若干の曲折はあるが、国道53号線を鋭く横切って、市立京山中学校の南辺に達する。  その場所では、幅広い用水を伴う。  この間総延長は約2800mに達し、654m=「一里」 : 往時の長さの単位で表せば、四里強になる。

  ここで、図2の東西/南北線の交点に注目しておく。  陸上競技場の第3コーナーの内側にあり、暫定的に 「東西で言えば岡大銀杏並木の西端の用水溝を延長して、サッカーグラウンドのグリーンに達した点」 を仮に指定しておく。 緯度経度で書けば、34.681111,133.919806 となる。 仮の原点 「O点」 と呼ぶことにする。

  【 おまけの話 】
  県営グラウンドがほとんどを占める 「高山里」 の南の 「里」 の北のほぼ半分を清心女子大学が占めている。 その南端 (正門前) の道路を東に進むと、図1には明示されてはいないが、JRを跨ぐ歩道橋がある。 他のところで述べたように、新しい道路や鉄道が引かれるとき、既に存在した道のために補償設備が作られる。 数行上に述べた踏切 「農事試験場」 もその例である。 鉄道が用水を踏み越えるときは、小さい小さい 「鉄橋」 が用意され、それらは周辺の景観が変わっても、往時の事情を 「凍結」 して、現在に遺す。
  歩道橋に話をもどすが、これも同様な経緯で生まれたと理解される。 つまり、「里境」 のちょうど中間にある 「坪境」 にあった道路が無視できなかったことに由来する可能性がある。 山陽鉄道なり中國鉄道なりが開業した当初から 「跨線歩道橋」 であったことはなかろうが、最初に踏切が置かれて、更に、その代償物として歩道橋になったのであろう。 この歩道橋の利用者は、2000年頃までは、「南方小学校」 の児童の一部が通学に使っていたが、今は統合されて、その学校はない。
   南方小学校: 大正13(1924)年開校/平成12(2000)年閉校


   < 具体例 2 >  猫の道 1 
                                 「猫の道」 命名の由来  
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   もう一つの具体例を示す;−
20行ほど上に、踏切 「農事試験場」 のことを書いた。 その位置を北緯、東経で書けば
     34.681142,133.925663 である。
  少し余談に入る〜〜、北緯、東経をこの順でこのスタイルで書いたのには理由がある。 Google社のStreet Viewサービスで、この場所が直視できるからである。 G-社の 「地図」 サービスに入って、その検索欄に上記の数値を Copy&Past で書きこむと、見慣れた地図が適宜なサイズで表示される。 さらに適宜に Zoom In した後、Street View に入る操作をすると、踏切周辺の実写映像が見える。 今の場合は、踏切名までは確認できないが、ラッキーならそんなこともできる。
  折角ここまで寄り道したのだから、適宜に方向変換の操作をして、SVを西に向かわせることにする。 踏切から150mほど西に行くと、KK岡山放送の表門付近に到達する。 SVカメラはその手前からこの条里の道を逸れて、並行する感じで400m弱走って国道53号線に出る。 目の先には総合グラウンドの陸上競技場がある。

  話を本題に戻して、筆者がひそかに 『猫の道』 と名付けている細い細い道の話に帰る。  つまり、幅が実質2m未満で、若干の段差もあり、徒歩で行けば物理的に通り抜けられるが、自転車や原付では無理な道の話である。 「物理的に」 と書いたが、「法的に」 通り抜けられるかためらう場合もある。 ほとんど直線で500mを超すほどのものが、岡山市街域に少なくとも数本存在する。
  此処で述べるのは、200m程度のミニ級であるが、特徴的なものである。 先ほどの踏切 「農事試験場」 から約20m東に進んだ点(A地点)= 34.681138,133.925893 を出発点として、およそ200m南のB地点 = 34.679625,133.925858 に至る。 このラインは、幅は狭いが、一方から他方にレーザー光が通るほどの直線精度を持つ。 A地点でSV映像を観察すると、残念ながら道を見通すことはできないが、街路表示盤が映っていて、その場所が「大和町一丁目4街区」の西にあることまで分かってしまう。

  話はこれ迄にして、若干のまとめを書く;−
 0) A−Bはわずか200m程度だが、これほど直線精度のよいのラインが閉塞されずに維持されているのは、強い意味を持っていることを示す。 周囲の状況から判断して、宅地化/ミニ開発される前の田圃のあぜ道に起因すると考えられるが、人が通ることを予想して造成たのでのでなく、意識的に残された道でもないものが慣習的に維持されている点にある。
 1) A地点とB地点の経度を比べると、「度」表示で小数点以下5桁目に現れる差は3.5に過ぎない。 つまり、秒角表示で0.13となる。 この辺りの経度に関して1秒角は25m強なので、30cmに相当する。 細かい議論は省略するが、上のA,B地点の決定(計測)では特別の厳密さのルールを導入しなかったので、その精度ではA−Bのラインは 「完全に南北を指している」 と言える。
 2) A−B間の南北距離に関しては、読み取りの緯度差が0.001513度で、この辺りでは167.8mに相当する。 おかやま全県GISの地図の計測機能を使っても169mの値が得られた。
 3) A地点と上の <具体例 1> の末尾に書いたO地点(仮の原点)との距離は559m前後の数値が得られる。 当時の、長さの単位 「1里」 として 654m を採用すれば、その六分の五 =6間X5= 545mに近い数値である。
 4) A地点から更に東方に道を進むと、約99m先で、用水溝を伴う南北道と出会う。 この点はO地点から658mに相当する。 直ちにこれが 「里境」 であると主張するものではないが、状況証拠としては注目を要する。