予備探索:坪境         条里制復元 WorkShop   2015・02・20更新

    <今なぜ、坪境か?>

  前節の試行で、地表の遺構から里境が推定できる目途は立ちました。  ただ、里境を推定させる確実な指標物が常に得られるとは限りません。  例えば、座標点 [6,6] = 岡北中学校 について言えば、角度でXX秒=距離でYYmほどの不確定が生じました。  また、南北の座標ライン [ X=−12 ] = 津島西坂から三門東のライン (京山の山頂付近を通る線) はZZmほどの不確定が生じました。

  これらの問題を解決するには、里境間の距離 (約654mと信じられている) の想定に無理があるか、往時の 「654m」 がどれほどの精度で維持されたかの再検討も 必要でありますが、この段階 (予備的試行) では、地表の標的遺物の選定に無理があると言わねばなりません。  つまり、この段階での解決策の一つは、敢えてもう一つ深みに 下りて、「坪境」 がどれほどの 精度で指摘 (推定) 出来るかの予備検定が先になると思われます。  その推定がある確かさを持つならば、「坪境情報の積み重ね」 で里境を選定 (推定) することが可能に なるからです。


    <坪境検定のモデル地域>

  ここでは、モデル地域として、「津島福居 」(特に、現・一丁目) 」の地区を選びます。  理由は、たちまち4〜5件を挙げることが出来ますが、第一には、 1960年代ごろまで水田が残っていて、中規模以上の宅地開発が起きなかったことにあります。  畦畔や水路が直線的で明確なことは言うまでもありません。   (近年の農地分合が行われなかったこのとの検証は別途必要であろうが、筆者に その記憶はありません [1950年以降]。)


    <予備検定の経過>

  具体的には、まず、この地域で、109m=経度で4.29秒角、緯度で3.53秒角 のメッシュを見つけることです。  ここでも、水路を伴うものに一層注目し ましょう。   なお、 このとき、注目地域の南に隣接する農地の升目構造に目を奪われてはならなりません。  ここは、岡山大学の実験圃場だからです [1949年の大学創設時に県立農業高校が母体になったが、ここが圃場として存在したか否かは要調査] 。
  さて、現実に、実際の地図やYahoo/Google 地図で現地を見ると、東西線としては、「座主川」 とその北に3本の水路が認められます。  一番北の水路は、 山の影響を受けて、 道も曲がっていて、地図上に鮮明ではありませんが、現地に行けば狭いものが認められます。  また、その道 (東西) は、現在の岡山大学の敷地が軍用地に なって(1900年ごろ)以降、村の重要な東西通路でありました。  このことは、明治31年(1898年)の帝国陸軍地図にも鮮明に記録されています。  この線を、仮に、 この地域の条里遺構の北限としておきましょう。
  以上の東西に走る4本の線は、坪境の候補としておきましょう。  実際、相互の間隔を109m程度と読むのも無理はなさそうです。

  次に、南北線を調べてみます。  最初に、現在の行政区画の「福居一丁目」 の中央やや西に、水路を伴った少し広めの道路が認められます。  その東西に 「坪」 構造が認められそうで、 かつ、南北にスッキリと通っているので、これを候補にしておきましょう。   これを仮に 「ライン、−5(マイナス 5)」 と名付けておきます。  この道の西に、一本だけ明快な 南北線 (平行線) を見つけることは出来ますが、他の南北線は、109m ゲージを当てただけではやや明快度が足りません。  けれども、現・岡山大学北団地の西端の線 (法文経学部敷地の西端線)の一部分が [軍用地時代に] 意図的に西と東に各々25m程度ずらされて、クランク曲がりが作られたと理解すれば、この 「消された境界線」 が 坪境の候補となります。  この [軍用地としての] 南北団地には併せて、5箇所ほど 「クランク曲がり」 が仕組まれているのです。


    <結果>

  この地域の坪境についてこれ以上詳細に検討するのは現段階の趣意ではありません。  最後に、現段階で想定している 「里境」 との関係を確認しておきます。   つまり、 すぐ上で述べた 「ライン −5」 は、銀杏並木の南北基線から、かなりの精度で、109mX5だけ西に位置すること、「消された境界線」 は 南北基線から109mX2だけ 西に位置することが 判ります。  この2本のラインは、坪境候補として、ランクの高い地位が約束されます。  同じように、東西線の坪境候補としての 「座主川」 は、 東西基線から測って、+7 の位置にある (北に 109mX7離れている) と理解するのは無理がないようです。

  この考察の中で、「座主川」 と呼ばれる農業用水路が、東西線だけでなく南北線に関しても、条里制の影響を強く受ける、特徴的な姿態を持つことが判ります。  つまり、 この川はこの地域でほぼ直角の屈曲点を持って東西/南北に流れるが、水路が 「坪境」 を保っているように見掛けられるからです。  詳しくは後に論じましょう。

  以上の検討を経て、「基線の北の、+6の位置に潜んでいる里境(東西ライン)」 が浮かび上がってきます。  つまり、座主川の東西ラインの1丁 (109m) だけ南を 探ればよいのです。  実際に、東側 (現・北方一丁目地内) で里境の名残を見つけるのは困難ですが、西では現・津島本町地内 (4番区画) に候補線を見つけることが出来ます。  これらを 総合することで、岡北中学校内にあるはずの里境の交叉点を推定することが出来そうです。

 [後日書き込み:東に進むことが可能なことがわかりました。 東に、今は使われることのないJR津山線の遮断機もない踏切 「◎◎」 が残っており、更に300〜400m東に辿ることが可能なようです。 ]