熊の・熊野詣で


2003年春

2003/03/24 から徐々にアップ


●熊野体験コース 03/03/24
  四国遍路の2巡目を一国だけ済ませたころで病を得て,退院から丸一年の日に,縁あって那智山へ   行くことになった.
  私(熊)は,かねてから,熊野の古道に憧れていたが,奥駈けをする気力も体力も(時間も)今はない. そこで,体力の回復度合いを
  確かめる意味もあって,大辺路の一部分を歩いた.   結果は,以下の通りで,熊野 「体験コース」 で終わってしまった・・・・
  今様の表現すれば,プチ熊野・・・


●大門坂 (前日) 03/03/24
  3月21日には,太田三郎さんの 『補陀洛浄土伝説』 ・「命(種)を運ぶ舟」 (HP筆者の勝手な命名) のワークショップに参加する
  ために那智山に向かったのだが,どうせならと,紀伊勝浦からのバスを早めに降りて,「大門坂(だいもんざか)」 から石の道を登った.
  都の姫君が衣を被いで道中する,観光ポスターそのままの石段道であった.

  400年,600年の老樹に挟まれて,確かに昔のままの道であろうけれど,・・・・  これはどこか違う. 熊野古道にも
  一級国道,二級,三級,県道,地方道・・・ と規格の違いががあるのか?


●見老津から周参見へ 03/03/24
  大辺路 (おおへじ) と呼ばれる路は,紀伊半島の南部を、海岸線に沿って海辺や山の中を辿るが,殆んどの部分が旧国道に 吸収され,
  今の国道(国道42号線)のアスファルトに埋められている. 書かれたものに依ると,周参見 (すさみ) の前後にはいくらか昔の面影が
  あるという.

  こたびは,紀勢線 (きのくに線) で丁度一駅の,見老津 (みろぅづ) から周参見の間を歩くことにした.  時刻表では10〜15分差である.
  結果としては,山路 5km,里道 2km,アスファルト路 5km,併せて 12km ほどを歩いたことになろうか.


●千年の怨霊 03/03/26
  此処を,『籠り国 (こもりく) 』 と呼んだのは誰であったろうか.  在所を発つとき,友人に 『なるものなら,千年の怨霊達に
  逢って語らってきたい』 と言ったものだが,・・・  山が浅い所為か,歩き方が足りないか,驚くほどのことは体験しなかった.


●急坂と平坦部 03/03/26
  左の肺腑を半分失った身には,最初の700m程の上り坂 (高度差200m程度) は強烈であった.  簡単な表現法はない.
  去年(02年)の暑中に,四国三十一番・五台山・竹林寺 (200m) に這い登ったのに較べれば楽であったかもしれないが,何度
  も足を止める.
  体が重い.・・・  瞬間,怨霊に出遭ったのではないが,自分の心の奥を 『谷覗き』 する.  腕が重い,腹も重い.頭蓋が重い.
  脚は必要,心肺は外せない.  もの思う心も,思考する脳さえも邪魔になる.・・・ 胸郭に溜まった水 (約1kg) さえ意識する.・・・
  みんな切り捨てて,・・・    運動能力の脳だけは残しておかなければ・・・
  初巡の四国の十二番・焼山寺へ向かう 『遍路転がし』 では,靴・衣服も,財布も,3グラムの鍵さえも捨てたいと思ったものだが・・・・

  平坦部3キロ半ほどは,雨は降っていたが,快適な路であった.

  下り坂では,また別のことを考える.  例えば,左に山,右に渓の踏み分け道を進むとき,本能的に,渓側に余裕を残して歩く.
  もし,足を滑らしたときのために,体を倒れ込ませるだけの余地を見ている.・・・  山側からの危険も避けられないのに,これは,
  街中で車道脇を自転車で走るときの感覚だなと思う.・・・  路肩ギリギリに走ることは,敢えて避けて,車側を走る.  車に
  跳ねられたとき,『跳ねられる余地』 を残しておきたい・・・ という感覚.


●長井坂 03/04/01
   この,登り降りの行程を 『長井坂(長柄坂)』 と呼ぶらしい.  尾根伝いの平坦部では,『築提』 と呼ばれている構造物に出遭った.
  尾根の 「馬の背」 部分を通るときに,路が崩れ落ちるのを避けるために,三尺ばかりの幅に付き固められた堤防状になっている.
  四国遍路のどこかで (雲辺寺路か,大窪寺途中か?) 同じものに遭っている.


●里道にて・猪垣 03/04/01
   猪垣には,およそ三つのタイプがあった.  トタンやプラスチックの波板を巡らしたもの,間伐材でがっちり組んだもの,今様の
  電撃式のもの.  ただ,哀しいことに,垣をめぐらした田畑には,守られるべき農作物が見当たらず,雑草が伸びるに任されて
  いるところも少なくなかった.  嗚呼!


●道しるべ 03/03/24
  少なくとも,このコースでは,本格的な道しるべは一基しかない. 観光協会の人工樹木製の矢印の道標が500mおきに造って
  あるが,何とも味気ない. 足元には,電力会社のものかと想像するが,寸角ぐらいの頭の白いプラスチック杭が打ってある.
  杭の頭に書かれたフェルトペンの文字が巧拙さまざまで,怒ったような記号,笑うような字体,書いた人の心地がわかるようで
  面白い. 歩き進むほどに,つまらぬことに気が付いて;・・・  杭は等距離に打たれてなく,多分見透し距離の都合であろう,
  高低差の激しいほど,紆余曲折が多いほど間隔が短い.・・・  『杭の間を 「等時間」 で歩けば良いのだ!』 などと愉しんでしまう.

  かねて,四国遍路の路では,等しいはずの丁石の間隔が,自分の疲労度を映すように伸び縮みした・・・ その逆の感覚!


●枯木灘 03/03/24
  山路は,中上健次の書き物の中に通奏低音のように出てくる枯木灘を望みながら進む. この日は生憎と遥か沖は見えないが,
  沖行く船からこちらを見たときの山の姿を想像しながら歩く.  「枯木灘」 の呼称は,この山塊の木立が,山からの強風に曝されて
  立ち枯れているからだという.     ・・・


●風
  この日は,実は,かなりの雨であったが,風も確かに強かった.  (この日は) 山の日向 (海側) の路では安穏であったが,
  山日陰 (紀伊の山塊側) に向かうと吹き飛ばされるほどの風であった.  雨も加担して,短時間で,体温を奪われる心地がした.


●樹木
  松: 路の左右には,人ひとりで抱えきれないほどの松が屹立している. 瀬戸内の松 (黒松) を見慣れた目からは,その真っ直ぐな
   姿に驚く. 植樹され,枝打ちされた杉・檜のような素直な育ち方である.  松毬の形も違う.  年輪の幅は混んでなく,気候
   の所為なのか,松の種目が微妙に違うのか?

  コバノミツバツツジ: 未だ花をつけていなかったが,花芽・木姿からはコバノミツバツツジだと思うが,マテガシ (マテジイ) と競争
   しながら,陽を求めてひょろりと高い.


●四国の路と較べると





●駅まで 03/03/31
  国道42号線を歩きながら,喫茶店に入って昼食をとる.
  親父に 『周参見まで歩くのだけれど,あの,あそこの岬の先かなぁ?』
  「(答えないで) ・・・2つ目の信号を右ね.」
  『ん! もう直ぐそこなのだ!』  「・・・・」

  相変わらず,右は山が迫っていて,左には太平洋 (枯木灘) が続く.

  その,2つの信号の間は僅か 150m しかなかったが,最初の信号まで,・・・ 岬は3つあった!


●夜半に 03/04/01
  『歩き』 をすると,汗をかいた感覚がなくても,脱水する. 補水が不充分だと,4〜5kmで,見かけ体重が1kg減少する.
  この度は,雨だった所為で,補水が充分でなかった.  けれど,あまり喉が渇かない. ?!?!

  夜中に気が付いた (これは医学的には裏づけのないことだが) ;−
   胸に溜まった水 (胸水) は,渇水時に水分補給に貢献するのではなかろうか?  駱駝の瘤?  胸水が溜まることは,
  必ずしも肯定的には捉えられてはいないが,本当の意味は判っていないらしい.  老廃物説? 免疫液説? クッション説?

  胸水・・・  肯定的に付き合ってゆきましょう.


●再訪?
  この地を再び巡ることはあるのだろうか?  その答えは判らない.  訪れるとすれば,小辺路,中辺路を通して歩くことに
  なるだろう.  中辺路もかなりの部分がアスファルトで覆われてしまっているらしい.  さて.




奥羽路 03/04/01
   仕事で,3泊の行程で仙台に行った.  車窓からの眺めは,南紀の場合と様変わりのところがある.  杉桧の類は変らないが,
  この季節,『照葉樹林』 の南紀と対照的に,落葉喬木の裸木が目立つ.
   塩竈(釜)に降り立ってみると,鮪と鯨の料理の看板が目立つ.  これは,南紀で見た風景と丸で同じで,苦笑してしまった.
  勝浦では箸を伸ばさなかった鯨 (ミンククジラ) の刺身を試みた.


中尊寺 03/04/01
   時間の隙間を見つけて,仙台から平泉に向かった.  西行・芭蕉の足跡を僅かばかり踏んだ.  此処奥の細道と,熊野古道と,
  中仙道を 「日本三大古道」 と呼ぶそうで,中七日置いて,その二つを踏んだことになる. <それがどうした?!>  
  中尊寺・金色堂は思った通りの豪華さであったが,深山幽谷の中にあると思ったのは完全な勘違いで,100m あるかなしかの
  丘陵の麓では,国道4号線が唸り声を発していた.





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