長崎・西彼杵半島の場合 (緊急報告)  2012・01・31

2012年に入って、WEB内の標石検索を加速しているところです。
かねてから、交流があり、多くを教えられた 「道人さん」 のHPを再訪問しました。

様々な石造物の探索や古写真の再検討に力を注いででおられるようですが、「明治の里程標」に関して
引用させて頂きます。 また、若干の私なりの考察を述べさせて頂きます。

まず、彼の、一番新しい成果を紹介します;−
   琴海町(現・長崎市)の例
この成果の特徴は、現地での再発見や友人の証言に裏打ちされているところですが、更に 「琴海町史」 の    
記述を確認されているところです。 多くの史誌で明治期以降の石造物がなおざりにされている中で、
この町史では採録されていること自体にも敬意を表します。

議論は後でするとして、これまでの 「道人さん」 の成果は上記の記事内のURLをクリックして下さい。

琴海町の碑を1基と数えれば、長崎街道本道 「内海県道」 に5基、枝の位置 「外海県道」 にもう1基
見つけられたことになります。     2011.02.05修正
現地に立つか、収蔵されているかの差はあっても、完品を基準にして全体像を示します。
標準的には、碑表が 「 ◎里標 」 で、基点(元標)からの里程数を示します。
右面あるいは左面に、「長崎へ○○里」 その反対面に 「面高へ△△里二分」 と面高方面へは 「二分」 の
端数が付きます。内海県道筋の(完品の)4基については、3基が 「長崎へ」を 『左面』 に持つと理解できます。


   
  
      岡山県典型例  岡山元標一里

 <若干の議論>
 私のささやかな経験では、岡山県下に見られる 「距 岡山元標◎里」 のタイプでは、「距 岡山〜〜」 の面が
正面 (碑表) で、道に面します。元標を背にして進むとき、標石は右手に現れるものが大多数です。  
管轄境 (県境など) が記載されている例では、記載面が向く方角に当該の管轄境があります。
もちろん、後年に植え直された場合は何とも言えませんが、道の反対側に植え直された伝承がある標石で、
更生すると上記の 「管轄境ルール」 が成立します。

 上の写真の例では、旧山陽道を西に向かって進むとき最初に出会う、一里です。碑表は正確に南向きで、
向かって右の面には、距 三石管轄境十一里〜〜と書かれています。三石は兵庫県境ですから、この面は東方を
向いています。 反対の面、西の面には、広島県境までの里程が彫られます。

 ここであえて言いたいのは、碑が 道のどちら側に立つか/本来の意味の碑表は何か/
左右面の刻字の意味とその面の方向の関係はどうなっているか のそれぞれに、本来は意味があったということです。


 さて、琴海町の碑に話を戻します。 予め断っておきますが、学問的な議論をしているので、琴海町史の記述や道人さんの
ご苦労にイチャモンをつけるものではありません。 このほど 「道人さん」 から積極的な同意を頂きましたので、いちばん
特徴的な画像を引用させて頂きます。


     

     「道人さん」 のHP (上記) から諒解を得て引用 (本名開示は検討中)


 既に引用したHPからも分かるように、碑の上の2/3が失われているようです。
その後教えられたところでは、面高から長崎に向かうとき見ることのできる映像の拡大と考えてよさそうです。
現状写真では、「長崎縣」 と読める面が道路に面しているようです。道人さんの琴海町史 (平成3年出版) からの引用でも、
この面を 「オモテメン」 と扱っています。 この点に関しては、私は、琴海町史調査の段階で碑は、既に、ほぼ180度方向を
変えていたと理解しておきます。

 そのことはさておき、道人さん引用の琴海町史の記述;−
    「正面の下部に”長崎縣”、右側面の上部に”長崎へ八里”、左側面上部に”面高へ七里”」
が実地検分か、伝聞記録かが判別困難になります。 平成3年に既に欠損していたのか否か?
その理由の第一は、町史が言う 「裏面」 に何が書かれていたかの記述に触れてないことです。誰でもが推測するのは
「八里標」 ですよね。
第二の理由は、町史のいう 「左側」 に ”七里二分” と書かれていたとするのが、一般常識です。
この写真で 「里」 の下に刻字がないのは、私の判断では、見えている面は ”長崎へ八里” の面=本来の 『右面』 で、
その反対側に ”里二分” が読みとれるか否かです。

この点については、道人さんが写真を掲げて下さったが、現段階では、判読不可能です。

 道人さんからの追加のご指摘では、長崎から面高に進むとき、標石は 道の右側に 立つことになります。
長崎街道筋 西彼杵半島の全部の碑に関して、道のどちら側に立っている (立っていた) かの議論にも興味があるが、
今はやめておきます。

 『岡山型』 では 「距(へだつること) 何里」 ですから、この場合の 「長崎へ 幾里」 と誘導の原則が逆なので、長崎/面高 を
書き入れる面としてどちらがふさわしいかの議論も残ります。 
ウヰスキーの広告に 「未だ半分/既に半分」 というのがあるように、視線の先に長崎を描いて 「長崎まで未だ三里歩かねば!」 と
考えるか、振り返りつつ 「長崎から既に六里も来たんだぜ!」 と思いを致すかによりますネ。