明治の里程元標 画像集  

             2010・04・29 「昭和」 と呼ばれる時代を省みる記念日に
                                                     2015・11・28 ●


  都道府県ごとに一基の 『○○県里程元標』 は特別な場合を除き収録しない。 理由は幾つかあるが、時の流れに
応じて単に木柱を石柱に替えただけでなく、後世のモニュメント 「復元」 が含まれる例が少ないからである。

  順不同で掲げてゆく。 いずれも著作権の問題をクリアしていないので、閲覧だけで、再利用はお断り。

  旧字・縦書きは、多くの場合新字・横書きで記す。 出来得る限り出典 (引用元) を示すが、不充分である。

  多くの場合、元画像が大きくないので、ディスプレー側で、150〜200%表示を試みられたい。

     参考資料: 「明治里程標」 に関する考察記事の例  
              熊註) このHPは、2005年に、我々が捕捉していたが、不完全であった。
                  今回再訪したら、2006年に学術的検討が加えられ、充実されていた。 
                  なお、明らかな誤解も含むので、内容の詳細検討作業は残るが、参照に値する。


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   <岡山における特異例 1:町苅田>   昭和三年十一月 メートル表示

        

      熊註) 動機は 『大典記念』 と理解されるが、「明治里程標・木柱<富山・兵庫型>」 の記憶が
           復元されているのではないか? 今後の研究課題。

   <岡山における特異例 2:安仁神社社号>  大正六年五月 

    この標の基本コンセプトの起源は2つあり得る;− サイズに関しては、このペーの対象:「元標」に準じるもの、また
   刻字内容に関しては、他のページの対象:「連番型里程標」<仮称:岡山・仙台型>を想定し、代替復元したものか?

      

            A,B面                           C,D面

   「明治里程標<岡山型>」 の記憶を留めると理解しておく。 あるいは、近隣にオリジナルがあったのであろうか?

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  <兵庫県の木柱>  

   <斑鳩[鵤]村木柱>  学術目的に鑑み、歴史資料館の別段のご好意で、収蔵庫内取材を許されました。

    斑鳩村(鵤村)[いかるがむら] の『大正・道路元標』 の近傍に、およそ1950年ごろまで、建っていたとの伝承
    明治33年(1900年)に建てられた木柱が、半世紀維持されたと理解されている。

    

      収蔵庫内横臥保存

   寸法:23.5X23.5X225H(cm) いわゆる8寸角  下部切り取り
   刻字: 下段参照 


                      <御著[御着・ごちゃく]村木柱>  姫路教委 文化財見学シリーズ[1]
                                            (昭和51年初版/平成13年三版)から引用
         ↓ 斑鳩村 標柱刻字                           ↓
                 

                                 建立:明治三十三年 寸法/素材は 「鵤村標柱」 と同様と推定
                                        表面刻字: 御著標柱  ○○標柱江 五里九丁△△
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  <兵庫県の石柱>  
   <洲本・本町[旧・  ]>  類例淡路島に6基残存 (基数は検討を要す)  
  この事例は町村の元標の例だが、別に、「整数里程数・里程標」 も残っている。

         

           洲本市公式 HP による                 私人の HP より

           刻字に含まれる近隣地名(推定) : 福良五里余・市村三里余 / 岩屋・神戸 /由良・志筑


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  <奈良県・奈良市>  

       

        大正九・道路元標の後ろに             後ろの台に「里程元標」が立っていた ⇒ 復元計画
            私人のHP より

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  <兵庫県・篠山町>  

      「篠山標柱」 <兵庫県型>
                           私人のHPより

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 <富山県>  富山県は宝庫である。 木柱として残されている例も多い。
   <富山・三日市町>

    オリジナル・二代目: 「距富山市西町元標 幾里   何尺 三日市町」 と読める。  『西町元標』 の 「子」 である。
              現在の 「木柱」 は欅・ケヤキ製と理解されており、M45.6.10再設置品/初代はM29.1.■  公的HPより
              

        至入善町貳里貳拾壹丁五拾五間参尺
        至浦山村壹里貳拾六丁拾間
        距富山市西町元標八里拾六丁五拾間参尺三日市町
        距富山市西町元標八里拾六丁五拾間参尺三日市町

        明治四十五年六月十日建設 富山懸
 


   <富山・高岡市>  

      復元品 木柱

    A面とB面  「富山県・高岡市(町?)地域の里程元標」 と理解しておく。


   

    D面とA面 「標柱の文字復元は不充分のように思われる」 (熊ぷーの柱、違った、註) 
               ⇒  M45年標柱との比較!  当時高岡市だったの?!   何尺まで書かないの? 
                   「縣」 と表記しないの?
                  それどころか、「距 富山西町元標  幾里何尺」 でないの? 
                  多くの人が誤解しているように、「富山県全体の元標」=大親分 ぢゃないよねっ!!!

  <富山・浦山[宇奈月]>  富山縣の大親分ではないよねっ!  ここでも 「距」 の字省略?

        

         A,D面                        A,B面 「距」の字を省略?                  D面

       文面: (前)富山市西町元標  十里七町三十九間   (左)下新川郡舟見町  一里十八町四十八間    〃 三日市町  一里二十六町十間
            (右)越中国境村里程標 五里二十五町二十間      (裏)明治四十二年九月建之 昭和四十九年一月復元


   <富山・小矢部市[現在]>  

       

       A面  「距」 あり、設立地名なし                   D,A面                            C面

   <富山県・福岡>  

     


    <富山・入善町入善>  

   画像未収   

   文字記録: 入善町入膳の北陸銀行入善支店前の繁華街にあるのが、中町の道しるべ。
            高さ3.2m、太さ30cmのクサマキ材の角柱で「至越後国界境村三里十九丁二十八間」「距富山市西町元標十一里三丁四十六間」
            「至三日市二里二十一丁五十五間三尺」「泊町一里二十一丁」と正面と側面に里程が彫り込んであり、裏面には「大正二年七月建設・富山県」としている。


    <富山・南砺市[現在]>  

    木製復元品と言われるが 画像未収

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   <三重県・菰野村>  

          大正元年に石柱に更新か?

   (表・東面)距 津市元標 拾弐里拾六町参拾間  菰野村大字菰野
   (北面)  員辨郡阿下喜村大字阿下喜エ六里拾弐町
   (南面)  大正元年拾壱月 三重県
   (西面)  四日市大字四日市 エ 参里弐拾四町参拾間 / 鈴鹿郡亀山町大字東町 エ 七里四町
                        画像と碑面の刻字は 参照HP に依る


   <三重県・亀山町>  

       大正六年に「更新」された木柱

       「太政官里程元標」と「大正九年道路元標」 ツーショット   
           熊註) 写真の中の記入文字は下記の 参照HP に拠るが、HP制作者は『道路元標』=太政官・元標 と誤解している!

      碑面文字 碑表 :距・・・・・以下不明  / 碑陰 :距鈴鹿郡庄野村 貳里貳町四・・不明
             碑左面:・・・・不明      /  碑右面:大正六年三月 三重縣
      木柱の寸法(基部は相当腐っている)  幅240x奥行235x高さ1,850mm
                                                   画像と碑面の刻字は 参照HP に依る

   <三重県・東柘植村> 

      大正道路元標と復元品(木柱)ツーショット
                                                画像は私人のHP参照


   <三重県・波瀬村>  珍妙! 昭和三年三月 KM表示 復元品か?!

        私人のHP参照

     刻字: 「距津市元標七拾五粁四九壹」「距松阪元標五拾六粁八〇〇」「奈良県界六粁壹〇九」
          「距川俣村大字七日市拾三粁〇九〇」「昭和三年三月 三重県」

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   <滋賀県・大寶村>  「十六師団」 を指向! 大正六年 (1917) 設置品を2000年復元

        

     刻字/由来 : 現栗東市綣(へそ)にある大寶神社の前にある。 かつては中仙道に面した要所だった。 この標石は<大正>道路元標
               前夜の設置品で<明治>里程標の形式を受け継いでいる。 「距大津市元標四里十八町三十間五尺」、「第十六師團司令部
               最迫九里八丁十二間五尺」 などの刻字が見られる。 兵站地を記載するのは、オリジナルが明治後期のスタイルを示す。
               1917年(大正6)に設置されたが損傷したため2000年(平成12)に復元再設置され元の標石は栗東歴史民俗博物館 (同市小野)
               にありる。
               同博物館で確かめたが、まだ梱包された状態で収蔵庫にあった。      画像/開設文は  参考HP  に拠る
               なお、当HP主の註釈も交えた。


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