連番型 里程標画像集   Established 2010/04/30 10:20

   厳密な意味での 「連番型」 とは、『距<地名>元標幾里』 あるいは 『距<地名>幾里』 と記され、里程数値が整数で、
 本来は連続番号を持つものを想定します。 例外的に、2010年5月4日現在の知識として得ている、標柱群:広島県西部の
 『壹里標』 を、仮に、含むものとします。 HP 開設者としては現状確認していませんが、『壹里標』の場合、裏面あるいは
 側面に里程数値が刻まれてあると伝えられるからです。

  <岡山・仙台型(暫定呼称)> 
   筆者たちが岡山県下に住んで、そこをベースに調査を始めたので、当然バイアスが掛かりますが、ここで述べるものは
 確認数で岡山県が抜群です。 宮城県 (奥州街道) がそれに次ぎます。 広島・廿日市に3基、他は県ごとに2基あるいは1基
 程度にとどまります。

  <岡山県の例>  
   岡山県は、連番・シリーズものに関しては、現在の知識では60基を超すものが確認されており、多くの場合
 単独標石でなく、複数の道筋に沿ったシリーズをなしています。
  その反面、市町村ごとの標石 [地域里程元標]=非連番型 は事実上発見されていません。
  <唯一の例外が、金川で見つかっている、『加茂街道元標』 です。 市町村の中心部に置かれた 「市町村元標」
   とは意味合いが違いますが、特異な存在です。 3013・07・21 補筆 >


  岡山県下の標石全般については、20 10年夏 13年末を目途に詳しい全貌を公開する予定です。

      画像準備中

  
  <宮城県・仙台などの例>  
   宮城県は、連番・シリーズものに関しては、岡山県に次ぐ量があります。
       ※ 2013年春の段階で、宮崎県での報告例が、数量的には抜き去りました。
         http://blog.livedoor.jp/umi103885/archives/51913891.html#comments
 ただし、宮城県では、今までには、奥州街道沿いで確認されるだけで、複数のシリーズは見つかっていません。 
 この場合の史料的特徴は、同じ明治期の 「几号水準点」 が併設されている点です。 数年程度早めに建てられた標石に、
 「几号」 が追加彫り込みされたものと理解しておきます。

      画像準備中

  <長崎県の例>   : 2012年暫定記入
  長崎県にも、長崎街沿いなどで、報告されています。WEB開設者と連絡が取れていますから、画像を提示することは可能で、
近い将来掲載ができる予定です。これに関しては、筆者の指摘を受けて、WEB開設者が2基の新しい情報を発掘して下さいました。

   <長崎・十三里> 西彼町 206号線  詳細調査中

  <広島・廿日市の例>  
  廿日市市の市役所近くには、明治期郡制の佐伯郡郡役所 (明治22年に廿日市「町」発足) がありました。そこを起点として、
ほぼ西に進んで、津和野を目指す街道があります。現在の広島県道30号(国道186号に吸収される)が継承しています。
  その旧宮内村内にの旧道部分に、郡役所から 「壱里」/「弐里」 を示す標柱が残っています。また、宮内村の西の境に「村境碑」と
「管轄境碑」が保存されています。当時の「村」レベルで管轄の境を示す標柱があるのは(残るのは)ここだけかも知れません。
  註)この「村境」は平成の合併以前は、旧・廿日市市と佐伯町の境でした。

      ///  2010年に実地調査が済んでいますが記載が遅れています  ///

    ※2012年1月中旬に、HP「はつかいち・ぶらり」の開設者から懇切な情報を頂きました。いずれ掲載します※

  <広島県西部の「壹里標」>  
   これは、上にも書いたように、この分類の中で例外的です。 また全国的に見ても、明らかな類例はなようです。
 設置動機も明治18年の 「天皇巡幸」 を契機に置かれたとされ、その点でも特殊です。 
 また、前項の廿日市にある、ここで言う、「連番型」・標準型とも、様相を異にします。

      ///  2010年に実地調査が済んでいますが記載が遅れています  ///


   <宮崎県の例>   : 2012年緊急追記を含む
  宮崎県では、連番ものと非連番ものが混在して認められます;−
  ここで言う意味の標柱が2〜3基、既に知られていました。またこの地では、別稿で議論する「町村の元標」が複数基残されて
いる場合も報告されていました。この地域の面白いところは、明治期の「町村の元標」と大正9年の『道路元標』と並立して残されている
例があることです。
  2012年初頭に、WEB内で新たに5基(1基+2基+1基+1基)が確認できました。それぞれ、関係者に連絡を取っているところで
全部の刻字内容が解読できていない段階ですが、宮崎県下での情報に量/質両面で厚みが増しそうな予感です。
 
  <追跡中の事例> 2012年1月中旬緊急記入
   飫肥街道 (県道27号)に2基  /宮崎二十二里(古川町)/宮崎八里(小林市)/

   ※この項に加筆している最中2011.01.19に、宮崎秀峰高校から書面を頂いて、詳細の一部分が判ってきました。※

   ※上にも書いたが 「潮風の街」 さん から情報を頂いています。  2013・07・20 

==
  <宮崎弐拾壱里>  通称・塩浜の道標  東臼杵郡恒富村[現・延岡市]  明治三十八年木柱から建替
                初代(木柱)は明治七年縣通達により建立と理解されています。
      

      延岡市内には 更に 古川町/土々呂町に 2基存在                「距宮崎元標弐拾壱里 東臼杵郡〜〜〜」


   <宮崎・高岡町[現・宮崎市]>   国道10号線の旧道 

        

      距宮崎元標八里  / 山下驛 壱里拾六町拾七間四尺
      明治四十五年二月改築  / 有水驛 弐里参拾壱町拾七間四尺

      「改築」 が彫り込んである例が多いのも、この地域の特徴のようです。

== 町村の元標  下記のほか、2基(細島/美々津)はよく知られています。
    更に2012年2基(山之口驛/須々木村)の情報を頂きました。

   <宮崎・宮水>  非連番例[大正道路元標併設なし]  県道218号線近傍 宮水神社前
               非連番型だが敢えて搭載

   

      距宮崎元標参拾参里七町 /  三田井 へ 四里壱町七間
      明治三十五年十月建立  /  新町弐里参拾弐町拾壹間