ProfileS


山下敬治の履歴


 1999年 (明治32年) 3月1日 京都府南桑田郡大井村 (現在亀岡市) に,農家の次男として生まれた.
 大井村小学校,京都三中(福知山),第三高等学校(京都市内),京都帝國大学(同)に学ぶ.
 玉城嘉十郎教授の門下 (数理物理学・音響学) で,博士論文主題はホールの残響(余響)研究と梵鐘の研究
  /湯川秀樹,朝永振一郎 両博士の数年先輩に当たる..  個人的にも交流があった.
 1969年 (昭和44年) 3月28日 岡山県津山市で,津山高専校長職在職中に没した.

 その間,京都帝大講師から,
 戦中の4年を旅順工科大学 (航空工学),敗戦後の4年を大連で新生中国の大学教育に携わり,
 1949年秋帰国して、翌年から新制・岡山大学理学部教授,同理学部長, その後,定年を一年残して
津山高専初代校長.

  雅号 紫苑 [英字表記 Sion]


  
   津山高専在職中に、その教授の飛岡先生に創っていただいた。    胸のバッジは、折鶴で象った「工」の字・・・ 津山(鶴山)城のシンボル
   本人の希望か周辺事情からか銅像になることはなかった・・・
     野外に立てられることはなかったが、鋳造され、校長室に
     置かれている・・・   と推定される。

      2013年2月追加


筆者[YamaY] (達) の横顔


 余り詳しいプライバシを述べるのはご勘弁願いますが;−
  敬治は3女3男を得ました. 1999年初頭のジョークで言うならば,2串の団子で,
  上のひと串はあんこたっぷり(?),下のひと串が 『3兄弟』 であります.
  女は,それぞれ研究職,大学教員に嫁ぎ,引退後の生活をしています.
  男3人はいずれも,物理学を学んで,それを活かす仕事を与えられた・・ と迄は,書かせて頂きます.
   その3人も,06年春、08年春に上の2人が定年引退し、皆新しい生活に入ります.  孫は13人,曾孫は?
    代表筆者 [YamaY] は,父40歳 (正確には39歳) の子です.

 敬治の配偶者(私たちの母)は,お陰様で,歳相応に健在で,99歳を迎えました[2006年 春] 〜翌年酷暑の お盆の中日に静かに生涯を終えました。.

  目次に戻る                                            ご意見・ご提言