遍路のことなど(土佐路にて)

99年4月〜00年2月




  < 新聞の俳句から > 今日は,バレンタインD

  世の中は,3連休とか言っていました. サラリーマン遍路には無泊二日の旅の好機でありましたが・・・
毎日新聞俳壇から;−
      凍鶴の 声たかだかと 天を恋ふ  川崎 清子




 < 夕日・夕陽 > 00/01・新春に

  2つ下に,宿毛の入り日のことを書いた. それに遭遇できたのではない. ましてや,ロカ岬の体験があるわけでもない.   にもかかわらず,頭の中に鮮明な映像がある. タラの [スカーレット・オハラの] 夕焼けでもない. ずっと下って, TVから植え込まれたものでもない.
  新春に,懐かしい人から,電子手紙を頂いて(中国大陸との間を往還する人で),五拾年前の記憶が呼び覚まされた. あれは, 『大陸』 の夕陽だ・・と. 遼東半島は山あり海ありで,大陸とは言えないが,そこに暮らした少年には,そのどこかの原野で観た 映像なのだろう.

 屠蘇に酔うたか? 『大陸』の風を伝えてくれた文に酔うたか?




 < 潮待ち > 00/01・新春に

  詳しく書くことは控えるが,家族の健康上の理由で [既に書いてしまったか?!],遍路は途絶えてしまった. 日帰り程度の時間の 隙間を作ることは出来得る. けれども,次の予定は道中一泊して,30時間ほど欲しい行程である. 前後の交通機関10時間, 睡眠時間を6時間に切りつめても,午前3時出立,午前1時帰着の列車があって,初めて算数が合う.
  別の処にも書いたかも知れない;−  数日間を歩き続ける遍路は体力的に大変だが,2〜3日 単位の 『繋ぎ打ち (区切り打ち が正式呼称?)』 もメンタルには困難な面がある. スポーツ選手ではないが,おおよその地形を 頭に入れて,私の場合は,今風に言えば,嘘でもCG画像を脳中に創る. この作業には2〜3時間の刻を要し,そのままにして おくと,半日ほどすると仮の映像は消える. 実際に旅に出ると,歩きながら,映像は実態に合わせて修正され, 結果は充分長い時間保存され,時としてはずっと後になっても蘇ることがある.

 今は,潮待ちの刻なのであろうと,つくづく思う.・・ことにしておこう. ただ,もう10日もすれば,歩き始めて満2年が来る.




 < 足摺を巡る[その2]> 99/09・後日記載 / 新春(00/01)補筆

  昔何かの本でリスボンのことを読んだ. ポルトガルの首都のリスボンである. そのときの記憶に間違いがなければ,その街は 大西洋に向かっていて,そこへ沈む深紅の夕日が船乗り達を見知らぬ土地へ誘[いざな]ったという. リスボンの人は,ヨーロッパ大陸の 西端に棲むことを誇りにしていると聞く.
  今のJR体制で土讃線は窪川から西は土予線として松山に向かうが,南西へは 『土佐くろしお鉄道』 に路線を譲って宿毛が終点である.  宿毛辺りから宇和海を望んだときの太陽が,『だるま』 になって西の海に沈むポスターを覚えている人もあろう. ともあれ,土佐くろしお鉄道には宿毛駅の先がなく,たまたま高架になっているので,此処でおしまいと言う感じがとりわけ強い. なぜか,北海道の大地で,昔感じた最果て感とも異質なもののような気がした.

  ヨーロッパの人が日本の鉄道に乗って驚くことが二つある. 一つは,日本では,車窓から見て,集落が途絶えることがないことで, 次に,およそどんな大都市でも,列車が走り抜けることである. 後半は,幾らかの説明が要るし,説明は若干難しい. 欧州の 主要な都市の駅は,ターミナル (= 端) の語が示すように,列車は入ってきた方向に去って行く. 更にくどく述べると,都市域は 城壁 (の名残) に囲まれていて,列車はそこまでやって来て,出て行く. 城壁内には別の乗り物が用意されているという考え方 だろうか? だから,ステイション = 停車場 の言葉より,ターミナル,テルミナの言葉が相応しい.

 さて話を戻して,日本では,高松や門司の例は別として,市制を敷くほどの街でこれほど見事な 『テルミナ』 に遭遇することは 稀であろう. 宿毛の駅は,鉄路が空中でブツリと切れた,見事なテルミナであった. 客待ちのタクシードライバーが,駅舎が 波間の船を象っていると解説して呉れる言葉は右耳から左へ抜けるだけであった. 夕暮れが近づく.

 私の場合は,無信心・不信心と誹られようとも,こういう異境体験も遍路旅の楽しみの一つである.



 < 足摺を巡る[その1]> 99/09・後日記載 / 新春(00/01)補筆 後日[02/05/08] 加筆

  少し遅い夏の遍路の機会は,思いがけずやって来た. 連れ合いが健康を損ねて,勝手気儘な独り旅も許されない処であったが, 彼女が短い検査入院をすることになり,非情な男は,一泊二日の時間の隙間を作って,四国に渡った.

  雪渓寺へはあっけなく到達できた. むしろ,種間寺への曲がりくねった路は思ったより遠く,その寺領の姿の通俗性に ややがっかりさせられた. 清瀧・青龍はその字面が一対をなして,巧まれたようで,気が付いて思わず笑んでしまった.
  青龍からの道のりは計算間違いであった. 北へ戻って,浜沿いの入り組んだ古い路を西に進むべきを,バイクのための地図に導かれて, いわゆるスカイラインを採ってしまった. 夏の終りにしては,暑い晴天の日で,アップダウンは自転車乗りには堪えた. 20km 迄は進んでないのに,5時間余りを費やした. 2時間半の誤算であろう.
  宿泊地の中村へは,絶対的時間が足りない. 全路平坦を仮定して,自転車が時速20kmを確保しても,届かない. やむなく, 公共機関を使ってスキップすることを企てる. 先回の,神の峯から土佐・大日寺への変則的スキップは別にして,これまでに無かった ことである. ・・にしても,列車の間隔が永い. 窪川の岩本寺を,お寺自体を,スキップするわけにはゆかない.
 結果的には,恐れ多いが,窪川でJRと土佐くろしお鉄道の連絡待ちの時間を使って,闇の中の形ばかりのお参りで許して頂く ことにした.

 およそ夜半の刻限に最終列車を降りて,中村の街を歩く. 正確には,時間を節約するために,折り畳み自転車を解き解いて, 街を走る. 先入観も込めて書けば,「府県で3番目ぐらいの都市」の佳いところを備えているように思える. そこに城構えが 有ったか無かったかは,今でも知らないが, 「小さい城下町」 の印象が深かった. ・・と言っても,睡眠時間と復路の滞在時間を 併せても,その街の空気は12時間も吸っていない.
  四万十川も,此処まで下ると,『清流』 ではなく,「ゆったりした」 川である. 彼の地の名誉のために言う;− この夏は断続的に 雨が続き,濁流であった. その朝も,村雨であった. 数十分間,その川岸を (自転車で) 走る.

  四万十川の河口辺りからアップダウンを繰り返しながら土佐清水を経て岬に至る.  この辺りの海岸線は岩場多く,道は幾らか高いところを走る.
  窪川・岩本寺へは,2002年5月に,参詣を果たした.



 < 高知市周辺にて[その2]> 99/07・後日記載

  途中,完成間近の 『牧野記念植物園』 に迷い込んだの (竹林寺詣で) も思いで深いが,その日の幕切れは,印象的であった. 最後の目的地に予定した雪渓寺は,浦戸湾の袋の口の西岸にある. そのことは間違いではない. 東岸からは,佳く知られた浦戸大橋が 懸かっている. 空高く架かっている. そこを,自転車を押して越える.
  地図を見れば判ることだが,東から西に向かった大橋は着地の寸前には殆ど北から南を指す. 遍路みちは,着地する直前に その西側の袂から螺旋状に降りて平地を踏むようになっている. 降り立った大地は,港町特有の曲がりくねった路地を持ち,防潮の 高塀に囲まれている. そこに10m程の幅の川が流れている.
  3枚ほどの遍路みちの丸いシールに援けられて進んだ辻で, 「そっちじゃない!」 とその日に限って,体内のジャイロが囁く. それ に従う. その時点での方位判断は完全に正しかった・・ と今でも信じている. しかし,県道級の車道に出てみると,どちらに 進んでも,『↑はりまや橋』 の青い案内板に遭遇する. バスの停留所の時刻表までが,小都市によくあることで,『上り』 と 『下り』 両方を表示して旅人を惑わせる.
 ・・・夕刻の30分ロスは致命的である. 悔しいけれども,市街地の只中で道に迷ったのは容易に立て直せる. 逆に,人里離れた 山中ならば,却ってなんとかなる. 路地に入ったら老婆に遭遇した. 八十を幾らか越えた人であったろう. 『お寺はこっちですか?  あっちですか?』 『こっちへ真っ直ぐゼヨ!』 ・・・ その先は行き止まりで,小さい稲荷の祠があるばかりであった. (後日, 地図を読むと,脇道の奥に,確かに禅寺があった.)
  しかたなく,『↑はりまや橋』 の案内を頼りに,高知駅に向かう他はなかった. この年の,夏遍路のあっけない幕切れ (になるところ) であった.



 < 高知市周辺にて[その1]> 99/07・後日記載

  前年の真夏には遍路に出なかったので,盛夏の遍路は今年が最初の経験だった. 初夏・五月の末に,長丁場の室戸巡りを済ませて いたので,続きは高知市とその郊外市域 [安芸市や南国市] で,札所の間の距離が短く,その意味で,楽な行程だった.
  ただ,厳密に言えば,先回は神峯寺を出てわずかの地点で夕暮れが近くなり,バスを使って高知駅に戻ったので,完全に 『繋ぐ』 には,安芸市のバスセンターからのスタートになる. 更に厳密には,神峯寺まで40kmほど戻るべきかも知れない.
  ここでは,日帰りと言うこともあり,それほど厳密に考えないで,次の土佐・大日寺から打ち続きをすることにした. 大日寺 ならば,土佐山田で降りてそこから行くのが普通の考え方であろう. ただし,また厳密しに即して言うならば,神峯寺からは 逆方向から近づいて行くことになる. 次の安楽寺への経路を見つけて,逆に辿る.

  四国中どこへ行っても,遍路みちの目印として,直径5cm程の2種類のシールか葉書1枚ほどの案内板が 『歩き』 を助けてくださる. 遍路みち保存会の努力の賜だが,それを逆に辿ることは存外難しい. およその見当を立てながら,往っては振り返って験す繰り返し となる.

  大日寺に詣でて,   ,更に土佐・安楽寺への道は草深い田の中の道あり,山路ありで,真っ直ぐではない. 自転車を押して行く ことは苦には成らなかったが,遍路みちを外れてしまい,幾らか難渋した. ただ,小さい峠状の地形に,かき氷とポップ米の 屋台を構える人が居て,世間話に興じた. 別れ際に,托鉢の鉢ならば溢れるほどの,未だ暖かいポップ米を頂いた. それは, 確かに,お接待の今の形であったが,その直前にかき氷を求めたのに対し,風通しのよい木陰に席を作ってくれたのが,一層印象的 であった
   


 < 東慶寺のアジサイ > 99/06/21

  仕事の関係で,首都圏で60時間ほどを過ごした. 徹夜仕事の空き時間に,北鎌倉を歩いた. 生憎の雨で,殆んど 濡れネズミ状態であった. 一番の見所は,駆け込み寺・東慶寺のアジサイだった. 土曜日の昼前なので,観光客 で満員で,とりわけ当節を映して,境内は 『駆け込み』 に ご縁がなさそうな ご婦人方の甲高い声が響き亘っていた.
  傘が傘を覆う程の混みようで,滴が頬をたたく,肩をぬらす. 私は,同じことなので,傘を畳むことにした. それに気づいた 七〇がらみの婦人が,『皆さん! 傘畳みましょうよ!』 と声を掛けられた. 暫しの時を置いて,『そうしましょ!』 と, わずか数人の人だが,同調する人が出た.
  岩陰には,イワタバコも咲いていた.



 < 永雨 > 99/06/07

  わがままな遍路は,『雨が降ったら,遍路の季節ではない』 と,つい,思ってしまう. 翻れば,雨かどうか,私が選び取る ものではない. 岩の上,苔の道を滑りながら頂きを目指すのもこれ本懐・・  でもないなぁ と雨を眺める.



 < 流木 > 99/05/ ・後日記載

  室戸岬へは,大筋において,真南よりやや西にほぼ一直線で,左に黒潮の海を観て陽に向かって進む. 道の殆んどは, 綺麗に舗装された国道しか選択の余地がなく,時に,漁師町の町中の昔の道を行くことになる. 起伏が少ないので,自転車に 無理はないが,贅沢を言えば,単調に過ぎる.
  私の遍路旅は,余念雑念の旅だから,それなりの楽しみも創り出す. 波打ち際を見下ろすと,あらゆるものが打ち寄せ られる. かねがね,『流木』 に興味があったので,幾つか蒐集して帰ることにした. 具体的には,備前の花瓶に侘び助椿 でも活けて,花台に出来るもの・・・をイメージして,かつ,自転車旅の邪魔にならない,いざと成ったら担いでも行ける ものを捜した.
  蒲鉾板を長手に三枚ほど繋いだような薄い板一枚,縦に裂いたら太めの薪が二本取れそうなゴロンとした材を頂いて 帰ることにした. 今,薄板の方は,本意の通り,知り合いの家の花台に収まり,ゴロンの方は,仕事場の片隅に仕舞われた ままである.



 < 夜明かし > 99/05/22

  途中で,道行きを中断して,また出直せばよいのはその通りです. しかし,今回のコースのほぼ全行程が,丁度列車が (昔で言えば国鉄が) 通じていないコースですから,いざとなると,バスの助けを受けることになります.

  朝起きると,隣は白浜と呼ばれる 『波乗り浜』 で, どこかの池に群がるカルガモのごとくに,一目50人ほどの,若者たちが群がっていました. 彼らは,車中泊で, それに見合うように 『シャワー施設と休憩室』 のしっかりしたものが建ててあります. 元来は遍路びとのためのもの でしょうから,遍路の爺さんは,そこで夜明かしをすれば相応しかったのかも知れません.



 < 今回のコースは > 99/05/18 字句修正01/09/10

  ウミガメの産卵で知られた日和佐の少し北,JRの駅で言えば,桑野か新野に近い平等寺から,薬王寺,鯖大師を経て, 室戸岬巡回・・・  でした. 総距離が200km程度に成ることが判っていたので,一泊でチャリを最大限度に使う ことで計画しました.

  出がけに,カミさんに,『景色なんか見てないんでしょう(余裕はないのでしょう)』 と言われて,肩の力が抜けて, 『行程を中断することを恐れない』 のが佳いと悟りました.

 最初の日は,実質半日は,気分ゆったりと巡りました. 鯖大師の先までの70kmほど. 遍路びとには,信じられないほどの 高級ホテル (・・と言っても,都会で言えば駅前の出張族のホテル程度) に泊まって,翌朝は5:30スタート.



 < 熊野古道 > 99/04/30

  大きい催しがあるせいか,最近 『熊野古道』 とか,『南紀州』 の言葉をよく目にします. 興味が沸きます.(湧く?)  TVで,『隠り国 (こもりく)』 と表現していました. 死者の,とりわけ,無念の死者の魂がさまよう地なのでそうです.
  重要な街道筋であったはずなのに,昭和の30年代初頭に 『廃村』 になってしまった村の映像も出て来て,凄い仕上がりでした.

 現今の軽いブームとしての 『お四国』 とは対極にある,魂の国のような印象を受けました.



 < 新幹線? > 99/04/07

  あるとき,隣の県の県都まで『新幹線』を使うかどうか話題になりました. これは,『現代人』 にとっては, けっこう,難しい設問です. つまり,悩みます. 旅の世界にも,効率を考える習慣が身に染みています.
  ポケッタブル自転車を利用して 『歩き遍路』 に挑んでみて,先回までと全く,感覚が変わっている自分に気づくのです.  つまり,先を急ぐわけです.

    もともと,お寺とお寺の間が長いために,1日10時間ほどの日程に組み込むのが難しいから,自転車の援けを借りる ことにしたのです. 先を急ぐ感覚はそのときから既に芽生えていたわけです. けれども,さて実行すると,10分 早かった,1時間得した・・ の感覚が先に立ってしまうのです.

  『歩く』 ということはこういうことだ,とつくづく気づかされたのでした. けれど,次もやはり,7.5kgの自転車を 担いで出掛けます. 多分.