遍路のことなど(伊予路で)

2000年4月〜同9月

背景色 瓶覗




< 再訪・延命寺/南光坊|伊予国分寺 > 01/08/14 後日記載 02/05/XX 追加記述

  <ここだけ,不自然にも,2001年の夏です.>
  去年の七月の末に,東予菊間町の東端から今治・延命寺の間がブランクになっていて,それを一年ぶりに埋め繋いだ.  日帰り,全部徒歩.
  伊予亀岡駅で降りて,少し西に進み,青木地蔵再訪.  戻って東進,東進,やがて海岸線を外れ今治市に入る.   大きな起伏無く54・延命寺に到る.  延命寺から南光坊へは,初巡と同じ道をなぞる.
  今治はタオルの産地,物産館などを巡ったが,時間に余裕があったので,伊予桜井駅まで列車に乗って,59・伊予国分寺も再訪した.



< いよいよ,伊予をあとにする > 00/09/06

  年休などを取り繋いで,十日間のうち半分を家に在り,半分を旅に過ごすことになった. 日曜・西条の駅に降り立って, 今度は,自転車を伴った. 東進約八里,この道は実に分かり易い路だった. いわゆる伊予街道と呼ばれる道で,現地には 『旧街道』 の掲示がある.
  『松山自動車道』 よりは海側で,11号線と挟まれるところが多い. ときおり,予讃線が割り込んで,四線絡んで進むこと もある. 暫し,潮風を嗅いで,伊予・三島に到る. 三角寺を目前にして,三島に宿を取る.
  午後の半日,坂道を押して登ることもなく,自転車を降りることは殆どなかったように思う. 詳しいことは別に書くが, 伊予を歩いて,足許の土質が次々に変わったように思える.
    三角寺以降のことは 『讃岐路』 の巻に譲る.



< 遍路みち > 00/08/30

当節では,『遍路みち』 の定義も人によりまちまちです. 平地では,田圃の畦を行くとき,これがそうだと言われれば納得します.
  アスファルトが打ってあっても,旧街道ならなるほどと思います. しかし,それらは地理的に正しいだけかも知れません.
山がかりのところでは,地理的だけでなく,物理的に古いものを残しているところが多くあります.
  山中・林間の道に関しては,最近,『本もの』 か 『偽もの』 かが解るようになりました. 『足に利く・・』 度合いが違うのです.
  踏み分け道は,枯木・朽ち葉が積み重なって,適度の湿り気を持ち,クッションが宜しい. 『道全体に草鞋を敷き詰めた状態』 だからです.
坂道や水路後でも,石がぐらつくことは稀で,安心して踏み込めます. そのような道に,私は勝手に『行者道』の名前を付けています.

   六十番から六十一番の奥の院に降って行くときの,最後の1km程は,『偽もの』 です.
  部分的には,『植物見本林』 となって居るところもあり,特に降りの時は,膝に堪えます. 見れば,ブルトーザの入った跡もあります.
佳い道になるには,百年は掛かるのでしょうね.



< 規範・きめごと > 00/08/30

  七月末の旅では,二つほどの理由で自転車を用いなかった. 平坦地が多かったので,『自転車も捨てがたい』 と思った.  しかし,丸一日の行程を終えて,『歩き通し』 の良さも再発見した.
  今回は,二ヶ所の平坦部,しかも各々が八里程度,が含まれるので,自転車で行くことにしていた. 朝,自宅を出るとき になって,パンクしていることが解った. 全行程を頭の中で組み替えながら,ともかく列車に乗った. 結論的には,自転車なし で良かったのかも知れない. 初めから,六十番横峯寺の登り降りは,自転車を放置して行く予定だったけれど.
  初日の夕暮れの後に,平地部分を列車でスキップすることと,二日目に 『逆打ち』 することにした. 厳密には,スキップや 逆打ちは規範に外れることであろう. ならば,白衣ではなく草鞋でなく,ジーンズ・スニーカーは? ハンコ(御朱印)を頂かない こと. 納め札? 読経? 献灯?・・
  既に固まった信心とてなく,『信心』 を捜している旅だから,体の難易ではなく,心の平嵩で決めれば良いと気づかされた.

  同じ歩きでも,あなたは,一里の山中林間の行者道と6キロのアスファルトの車道のどちらが 『楽』 と思います?



 < 香園寺 > 00/08/30

六十番・香園寺の建築様式には意表を衝くものがある. これは,コンセプトの問題だから論評は避けたい.
千年単位の時の流れに委ねよう.
けど,最近,知るところとなった建築家の友人に見せて,意見を訊きたいものだ.



 < 泰山寺にて > 00/08/30

  記述が,幾分後先になる. 今治近傍では,平地の伽藍が多い. 南光坊から南へ打ち返して,住宅の間をかなり歩いて 五十六番に到る. 近づいて驚いた. 境内の外壁が全面改築中で,石垣の上の城壁の体をなしている.
  私は,元の貌を知らないが,・・  境内にいる半僧半俗の風体の参拝人に,思わず声を荒げて,『此処は・・ 「寺」・・ ですか?』と訊いてしまった. その人は,私の言葉の意味を解しかねて・・『おうっ』と言った.

  これでは,今太閤ではないか?!



 < コインの誘惑・2 > 00/08/29 一部分追記

  最初に焼山寺に到った感慨には,歩き遍路ならば,多分特別なものがあると思う. あるいは,逆説的に言うならば,あの山坂は 歩くことに 『病みつき』 にさせるための舞台装置なのかも知れない.
  ただ,六十余の寺寺を巡ってみて,あそこに決して置いて欲しくなかったものは,自販機である. ひと里に近い寺に自販機がある ことは,今の世では,致し方ない. 境内の茶店の例もあるから,伝統かも知れない. 四里余りの難路を這い登った果ての自販機に, 愕然とさせられたことを,二年経た今でも鮮やかに想い出す.

  六十番寺で,二里半の山坂を経て自販機に出逢った. そのことは,既に,驚かなかった. 缶入り¥150だった. 一缶¥1,200 なら許せるが,これは許せない. 僧坊では,私が歩き遍路だと知って,ビスケットの接待を頂いた. 降り道の詳しいことも教わった.  手水水も,安心して飲めるよ・・ と言われた. けれど,許せない! 自販機やめるか,一缶¥1,200−か?! それが,仏心!

  9/6追記: 雲辺寺では幾らか? 気になっていたが,境内には自販機はなかった. ロープウェイ駅には近づかなかったので,知らない.



 < コインの誘惑 > 00/08/25

  夏の 『遍路旅』 では,脱水症状を怖れて,水の補給を怠りません. 私の場合は,寺寺で,手水水をペットボトルに頂く ことが多く,時には,沢水の厄介にも成ります. 街中では,不本意ですが,自動販売機にも近づきます.
  自販機で水分を補給するときは,まず第一に「野菜ジュース系」を撰び,100%に近い果実ジュース,牛乳入り,スポーツ ドリンクの順になります. 医学的にはスポーツドリンクを勧める人は多いですが,私は,却って口が粘ついて,渇きが 癒えないのです.
  旅から帰っても,『自動販売機が呼ぶ』 状態は暫く続きます. 『水にお金を払うこと』 などは考えも及ばない世代ですから, 普段は,『冷たい砂糖水』 など見向きもしないのに,思わず立ち止まったりします.




 < 円明寺から延命寺へ > 00/07末

  五十三番から五十四番の間は40km弱あります. 殆んどの部分が海岸線を行くことになります. 小さい岬のような 地形のところで,「湘南海岸」 風に塗り分けたられた洒落たレストランが潰れて,そのまま,看板を塗り替えないままコンビニに 成っていました. コンビニの安堵感が,沢山のビーチサンダルの若者達を引き寄せていました.
  彼らは,幸せそうに,コンビニ弁当を抱えていました. 一週間先には,ピカの日が来ます.



< 太山寺へ向かう > 00/07末

早朝の散歩で,いっとき,引き綱から解き放たれた犬が嬉々として走る.
私の 「散歩」 もこれなのだ!

はて,私の 「引き綱」 はなんなのだろう?



< 八坂寺/気持ちのすれ違い > 00/07中旬・後日記載

八坂寺の駐車場の茶屋で,しっかり冷やした「ショウガ湯」のお接待を受けました. 甘露! 感謝!
格好から「歩き」だと見抜かれたようです.

姐さん曰く『バスの遍路さんに,冷たいものを勧めたら,断られましたよ』
『「バスの中は寒いぐらいだから,暖かいもの呉れ!」ってね. そりゃ,元々,暖かい方が旨いわよ.』
『今朝,早くから,しっかり冷やしたんだけんどね. この季節だから・・』



< 再び,岩屋寺のこと > 00/07中旬・後日記載

岩屋寺のセメント造りの参道を向こうへ越えようとして,ミミズがのたうっている.
手助けしようとした. けれども,止めた.
ミミズにも考えがあってそうしているのだろうから.

さっき,車遍路の人が,載せてあげようと言ってくれたけれど,頑なに断ったばかりだ.



 < 三坂峠 > 00/07・梅雨明け目前

  三坂峠の下りは印象的であった. 峠から、早速に、下りの遍路みちがあるので,普段なら,自転車を押し続けて登った国道を離れて,そちらを 選び取るものだが,二日目に入って,帰途を計算する気持ちが働いて33号線を行き続けることにした. 南東から登り始めると, 道の勾配は,最初は百分の一ないし三程度である. 短い距離ならば,百分の二までは自転車で登っても佳いが,長いときは押し登る べきである. しかも,水平な部分はなく,僅かな下りも混じらない. あの角を曲がったら,下り勾配に遭遇できるかも・・と, 幾度も期待を裏切られながら,時計だけが廻って行く.・・・ そのあげくに到達した峠であった.
  峠の海抜は720mである. 道際の広報板に依れば,それを12〜13kmの距離で平野部に導く. 後で解ったことだが, これも途中上り坂を持たない. 玩具のような折り畳み自転車にとっては,下り坂で速度が出過ぎるのは大敵である. 前ブレーキも 禁物である. 時速10kmを余り上回ってはいけない. あとは説明は要らないだろう.
  今の場合は,この坂を降りきらずに,およそ7kmのところで,塩ヶ森トンネルの手前で,農道風の路に逸れる. その道もまた下り 続きで,3〜4kmして,四十六番・浄瑠璃寺に到る.



 < 岩屋 > 00/07・梅雨明け目前

  四十五番・海岸山・岩屋寺は,背景に『岩屋』を背負っている点で,希景と呼べる. 奇景かも知れない. 昼前に内子を再出発 した今回の旅は,東進して,まず大宝寺に辿り着き,更に東に行き,余力を残さないで岩屋寺に到る. ここで,予約もなしに,民宿 に泊まることが出来た. 前夜,山門まで行って到来の挨拶だけ済ませておいたが,翌朝6時過ぎから,改めて参詣する.
  本堂・大師堂の背景の巨大な岩壁に圧倒されながら,更に上を目指す. 三十六童子霊場が設けられているので,幟に誘われて, 奥へ進むと,岩壁の殆ど上に行き着く. 仏教的と言うより,古代神道がかくもありなんという感じの霊場である. 途中は,ずいぶん と急峻で,足場の悪いところもあるが,荷物と自転車を宿に預けて出たので,全く楽であった.
  進みながら,『これは違うぞ!』という感に襲われる. やはり違う. 荷物・自転車がないのが妙に空々しい. 奇岩の先には, 踏み分けの遍路みちがあった. 急峻な道を降り戻って,荷物を持って再びこの遍路みちを進むのが正道だ・け・れ・ど.



 < 参詣の仕方 > 00/07・梅雨明け目前

  歩きながら,様々な思いが頭をよぎる. メモ帳を持って旅に出ることもあるが,意識して,列車の時間さえ書きとどめないで 出立することもある. 今回は,それに近い. 帰途に着くと,その様々の殆んどが次第に薄れて行く. 少なくとも,記憶の 表面から一旦消えて行く. 今回は,宿で,6人のワンボックス講中[筆者のとっさの命名]に出逢って,祈りの形などについて 考えさせられる処があったが,それは別項で書く. 
  正統な遍路者によると,参詣には当然色々なしきたりがある. 読経,献灯・献香・・・  私は,信心なく歩き始めたものだから, 最も始原的なことがよいと思う. お大師さんご自身に対してか,それを護持し続けた人々に対してか,はっきり言えないが,お寺に 到達したら,『漸く辿り着けました. 有り難う.』と祈る. ときには,『おいでおいでと,呼び寄せて下さった. お陰で道に 迷わずに辿り着けました.』と感謝する. キリスト者は遍路するものかどうかは解らないが,『漸く・・』と言う気持ちは宗旨 ・宗派を超えたものだと思うからである.
  3時間,4時間と歩き続けた後に,漸く到達できたとき,『五体投地』の祈りの形が最も相応しいと思う. 近東・西欧の宗派 で言えば,大地に口づけする感じであろうか. 遍路寺で五体投地をすると周囲の人が飛んで来るであろうから,控えて,私はお堂の 前の石段下に跪いて,石段に掌を置いて,丁寧に礼をすることにした. ただ,この格好は省略形になると滑稽である. 膝を充分に 折るのを省略して,片手の掌を段上に置くと,『反省猿』のポーズになる.



 < 曼陀羅世界 > 00/07・梅雨明け前

  曼陀羅図の表現するものが『フラクタル的』であること,同じ構図を内包することは,既に,幾つかの指摘がある. この度の旅で, 内子から久万に向かう379号線・380号線沿線で顕著なことは,道沿いに祀られる佛体が多いことである. これらは,注視すると, 地場の札所・大師信仰の証である.
  最初,改修された379号線の道沿いのコンクリートの擁壁に窪みを付けて祀られていた. 壁材が,いかにも不自然で, 交通安全・事故死者供養のいわゆる『お地蔵さん』と見まがった. それにしては,200mの中に五体も六体もあるのは奇怪である.  それぞれに札番が刻みつけられてあるので,これが『地場の札所』であることは解った.
  更に進むと,改修以前の国道の石積みの擁壁にも,それがあって,何となく安堵させられた. 佛体は大師像の場合もあるが, 多くは,観音であったり如来であったり,本札所の本尊を写し取っていることが多い. 村内の路地に祀られる形ではなく,遍路みちに 向かって,佛体を明示的に祀る形に関しては,恐らくこの辺りのものが特徴的であろう.
  これは,内子町(東部)から小田町で多く見られ,久万町に入ると次第に少なくなったように思われる. 札所境内に八十八のミニ ・スポットを持つ例は珍しくない. そこを巡ることで,三百五十有余里の長旅を免じて,功徳を授けようとしたものだが,この界隈 五〜六里を巡る習慣があったのだろうか? 札番の数を確かめる余裕はなかったが,八十八を優に超える数であったように記憶する.
 


 < 十一番・藤井寺へ[古道・遍路みち] > 別紙からの採録[00/07/17]

  一昨年(98年)の体験を,記録を見ないで,想い出すままに記す. 藤井寺へは,藤の花が丁度済んでしまっていて,残念な思いをしたので, そのような既に暑い時期であったろう. 日帰りばかりの,三度目の歩きで,徳島の駅から七番・十樂寺までバスを使って,そこから 繋ぎ始めた.
  八番・熊谷/九番・法輪/十番・切幡/十一番・・と続く. 切幡寺は山懸かりだが,そののちに控えている難所に比べれば 初心向けで,あとの寺寺へはほぼ平坦地でうねうねとした道が続くだけである. しかし,総延長は短い一日の行程としては長く, 藤井寺を詣でたら,帰途に着くことにしていた.
  切幡寺のお山を降りて藤井寺までは,改めて地図を見ると,直線で7kmを超えるから,経路では12kmに迫るほどであろう.  吉野川の河川敷で,人参の収穫の甘い香りの風を嗅ぎながら延々と歩いたのを想い出す. 切幡寺迄に既に15kmほどは歩いている ので,藤井寺への最後の2kmは文字通り足を引きずる思いであった. 道際には,『遍路みち保存協力会』の案内の道しるべが 丁寧に準備されていた. 人にはめったに道を訊かないものだが,最終の岐路で,ジャージを着た地元のオッサンに右か左か訊ねた.  彼は,一瞥して,『どちらでも到達できるが,辛いけれど,こっちを選びなさい.』と教えてくれた. 足を引き擦っているのは, はっきり解ったはずなのに,辛い路を勧めてくれた.
  実は,蜜柑山を一山越えるだけの,遍路ものにすれば何ほどのこともない2kmであったが,その男を恨んだ. 25km余りの 炎天下の歩きの後の2kmを呪った. しかも,藤井寺から駅に帰り着くのに,更に4km程の道が約束されている.

  蜜柑の作業小屋の裏の,狭い土塀の隙間のような処に,案内札が立ててある. 誘[いざな]われて進むと,それが 古道であった. それまでにも,遍路みちを復元したところは二度三度歩いた. 切幡寺への接近でも遭遇した. しかし,それらは, せいぜい「コンクリートを使ってない工法」の域を出ていなかった. 藤井寺に近づく最後の100mは,私の記憶の中で,甘美な ものに置き換えられている虞れはあるが,自然物か人工物かすら区別の出来ないものであった. めまいがした. 思わず,素足に なるか,草鞋があれば履き替えたい心地であった.

  駅への道すがら,自家用車を走らせる初老の夫婦へんろの人が,駅までの同乗を強く勧めてくれた. 心優しく言うて下さったが, ここで楽をさせて貰っては,先ほどの余韻が消えそうであった.・・・ のを,まざまざと想い出す.



 < 鍵の重さ > 00/06・夏至の直後に

  遍路みちで経験した,心の深層の体験は,余りひとに語るべきものでないと思ってきた. 夏至過ぎのある宵に, 酒肴噺しに口に出してしまったことなので,書きとどめてみる.
  藤井寺から焼山寺への山越えは,一番寺から順に打って来ると,3日目か4日目の行程であろう. まだ,初心抜けぬ頃で, 突然の長い山道に遭遇せしめられる. 壮絶な道のりである. 藤井寺で,藤棚が鬱とした感じであった記憶から,梅雨前の 季節だったのだろう. 公称20km弱の胸突き八丁の連続で,心身疲弊の渓に突き落とされる. 林間の道なので,晴朗な天気 も苦にならなかったが,全行程で,歩いて行くひとには出逢わない. 3時間歩くと,持ち物全てが疎ましくなり始める.
  靴を脱ぐわけに行かぬなら,沓下を捨てたいと思う. ベルトを打ち捨てて,藁しべで代わりをさせたいと思う. やがて, 靴もベルトも要らなくなる. 財布は邪魔になる. 万一の命の綱の地図も要らない.
  ポケットでちゃらちゃら鳴る鍵の10グラムが疎ましい. サラリーマン遍路は,帰路に予想外の事で帰還が遅れることを思って, 仕事場の鍵を家に残さないで,持って出る. 自宅の鍵と仕事場の鍵がチャラチャラと鳴る.

  2つの鍵は,『お前は,どちらの鍵を先に捨てるか!?』と迫ってくる.・・・・



 < 地場の大師札所 > 00/05・初夏[即日記載]

  岡山県南部の場合,いくつかの大師信仰(八十八霊場)が地域で護持されて,息づいている. 岡山市が倉敷市と早島町に 接する地域[大内田地区]の例は,このサイトの別の項に記しておいた. 最近,別の例の巡礼を始めた.
  岡山県では,3本の大きい河川が北から南に流れ下って,瀬戸内海に注いでいる. 旧制度の岡山市は旭川を挟んで広がって いたが,ある時期に東隣の西大寺市を併合した. 西大寺市は吉井川を挟んで立地していたので,今の岡山市は,旭川の右岸から 吉井川の左岸までを占めることになった. ここで述べる地場大師の例は,この吉井川の左岸の西大寺地区の更に東に隣接する 邑久郡[おく]のほぼ全域に展開され,『邑久郡大師霊場』と呼ばれるものである. 厳密には,約10カ所が西大寺域にも 浸透している. なお,霊場は『北巡り』と『南巡り』の2つのコースが護持されている[各々八十八カ所と番外を持つ].
  『大内田地区』の例では,例外を除いて,いわゆるお地蔵さんに祠を掛けた程度の高々人の背より低い祠堂群であった. ここ では,概ね,数人あるいは20人余の人が集って参詣できるような,瓦が葺かれたお堂が大字か小字単位で護持されているらしい.
  子細を述べるために,いずれ,別項を建てる. 今日(5月21日)は,またまたサラリーマンの悪癖で,日付けを確認しないで 出発したところ,『お大師講』の日であった. 巡拝の時刻が遅かったので,『お接待』は済んでいたが,片づけ途中を視ると, ドリンク缶の段ボール箱のかなりの数が空になって置かれていた. ただ一人の婦人が幟を片づけて居られるお堂もあったので, 少ない戸数の輪番でお世話をなさっているのであろうか?
  案内書もなく,広域の不完全な地図を頼りに,札番の順逆も怖れずに,この日は正味1時間半で七堂をお詣りした.



 < 歯長峠 > 00/04・深春[後日記載]

  一夜明けて,佛木寺,明石寺と進んで,その日は大洲から帰りの列車に乗ったが,佳い一日であった. もう一つの峠, 『歯長峠』も感慨深いものがあった.
  佛木寺への道では,特別の銘木でもない桜が,二三本風に揺られる菜の花が,遅れてきた春遍路を大歓迎してくれた.

     菜の花に 桜に染みつつ 佛木寺

佛木寺から宇和町に向かうルートでも,早い段階で車道から離れて,遍路みちを選び取った.
  いきなり人造湖の土手を自転車を畳まずによじ登ったり,本来は押して行くべき荒れ道を強引に突っ走ったりしたが, やがて,歯長峠に到る. 今では,お定まりの隧道とアスファルトの道が出来ているので,峠越えに拘る必要はないし, 分かれ道には,『楽をとるか? 苦をとるか?』と念のためのガイダンスまである.
  『苦をとる』選択をすると,直ぐさま,高低差300mほどの傾斜路が迎えてくれる. いくら険しい山道でも45度を 超えることは滅多にないが,そのようなところも多く,処によっては鎖の助けを得て這い登ることになる.
  遙か下方のアスファルト道から,自動車さえもがエンジンの音絶え絶えに喘いで走るのが聞こえる. 思わず,乗っている 人のことを思う. 「人々は,自分の代わりに自動車が喘いでいることに気づいて居るのだろうか?」 「自動車の無力を 恨んでいるのだろうか?」  「軽自動車しか買えない経済力を罵り合っているのだろうか?」  歩き遍路は,ただ, 一歩ずつ前に,上へと進む.
  峠には祠があって,大師のお像や,お顔の定かでない佛体が祀ってある. そこへ到ると,思わず,チベットなどの人々が そうしているように,地面に体を投げ出して,五体投地の礼をしてしまった. 『迎え入れられた』,『招き寄せられた』と いうような思いがした. しばらくは,投地した体に蟻が這い登るままに任せていた.



 < 桜色の蝶 > 00/04・深春[後日記載]

  四月八日は10時過ぎの宿毛駅スタートですから,大きく進むことは出来ません. しかも,海沿いの道で予想を超える 時間を費やして,しかも旅の早々に眼鏡を失って,今回は無理をしないと決めました.
  無理をしないと言っても,距離・時間配分に関して欲張らないと言うことで,体力的には別です. 佛木寺までは欲張らない と言うことです. 途中に『柏峠』が横たわっています. 迷わず,車みちではなく,山のみちを選び取りました. つまり, 途中から7kg半の自転車を担ぐと言うことです. 暫く進んで,無謀さを思い知らされました. 事情で,前日と前々日に殆んど 寝ていないことを計算に入れていませんでした. 10kmにも満たない遍路みちがこんなに遠いと思ったのは初めてでした.  焼山寺越えでも『お鶴・太龍』でもそれぞれの辛さはあったが,さほど大きい問題はありませんでした[焼山寺越えは,自転車を 持たない,夜歩きだった].
  このたびは,何度も,なんども,地面にヘタリ込んで,倒れ込んで,しかも迫り来る夕暮れとの競争でした.

      渓底に 櫻色の蝶 舞ひ降りぬ

漸く峠を越えた下りの渓川に,ひらひらと桜の花びらが舞い降ります. 周囲に桜の木はありません. 振り返ると,暮れなずむ山腹の, いま超えてきた峠の辺りに櫻樹一本.



 < 甘茶祭り > 00/04・深春[後日記載]

  サラリーマン遍路は,土日休みの日を選びますから,つい何月何日かを忘れて旅に出ます. 龍光寺で,私のような爺さんから みても,人生の先達であるご婦人たちに甘茶のご接待を受けました. そして,その日が花祭りの日であることを,改めて, 教えられるような有様です.
  時計を数時間戻します. 昨秋は土佐の赤亀山で打ち止めたので,今回は伊予に向かうことになります. 気まぐれですから, 国道でも古い遍路みちでもなく,海沿いの道を選びました. 海沿いと言っても,行って判るのですが,崖の上の,海抜100m 前後の山の中腹を行くことになります. リアス式と言って良いのかどうか,入り組んだ海岸線とプラスマイナス20m程の 高低差が続きます. 自転車を纏めて背負うでもなく,押しながらの道行きにはちょっと辛い路でした.
  宇和海の風景は,それに報われて,余るほど良い眺めでした. 晴天で,季[とき]も佳く,桜花・山ツツジ・草木の緑, どれをとっても,申し分有りませんでした. ただ,この道[高知側も愛媛側も,どちらも県道7号線]は店はおろか自動販売機も ないところで,『水』の問題は不用意でした. 暑く灼けたアスファルトの上に烏がついばんだ夏みかんが転がっています. 思わず,それを頂きました. 完熟品でした.

    烏から受ける 蜜柑の お接待




  < 新聞の俳句から > 今日は,バレンタインD

  世の中は,3連休とか言っていました. サラリーマン遍路には無泊二日の旅の好機でありましたが・・・
毎日新聞俳壇から;−
      凍鶴の 声たかだかと 天を恋ふ  川崎 清子