遍路のことなど(讃岐にて)

2000年9月〜


スタックアップ式で書いていますので,
近い日付の記事は,下を先に読んで下さい.
背景色 白緑[びゃくろく]




筆者近影・賞味期限終了.



 < お礼詣で > [01/01/25 記載]

  通例では、八十八ヶ所を詣でた後、一番寺に到って 『環』 に仕上げる例は多い。  そうでなくとも、大本山の 『高野山』 に 詣でるのが最善だと教えられる。  私の場合は、少し違う 『お礼詣で』 で完結した。
  自宗 [家の宗派] は法然を開祖とする、浄土宗である。  私の住む岡山県は、その所縁の地で、県央に 『誕生寺』 があり、 県の北東部・那岐山山麓に、学問寺 『菩提寺』 がある。  自宅を出て、その二つの寺を巡ることにした。  行程二十里を超すので、 自転車 [折りたたみ] に依った。
  おかげで、此処も無事に詣でることができた。  最後の 『菩提寺』 近傍は、道路の一部が凍結していたので、徒歩によって参詣する 無謀を諌められ、結局、友の自動車に助けられた。

  誕生寺では、大師 [空海] の遺跡に出遭った。  法然誕生のときの産湯の水は、大師が錫を立てた所から湧き出たものと 伝えられている。  生水の飲用は禁じられているが、加持水として信仰を集めている由である。



< 感謝 > [00/12/25 記載]

98年1月10日に始まった1100日足らずの間,
29回(日帰り21回・8泊・夜歩き1回)の中で,怪我も病いも得なかったことに感謝.




< 金剛杖奉納 > [01/01/25 記載]

  八十八番の収めの寺で、不思議な立て札に遭遇した。 多くの人たちは、共に歩いた金剛杖を、この結願の寺に奉納する 慣わしがある。  そこで見つけた立て札は、『金剛杖は、勝手に放置しないで下さい。 寺務所に申し出て、奉納してください。』    正確には、文言が違っているかも知れないが、概ね言い表しているだろう。
  私は、一瞬、わが眼を疑った。  これは、自治体が 『このたび、ごみ収集を有料にしました。』 と言うのと同じ発想ではないか?   私の意見を押し付けるのはやめる。  皆さんどう思われるだろうか?  金剛杖を 『捨て去る』 遍路人が心得違いか?  寺の 経営感覚に脱帽するか?  賛同/擁護するか?  単に、筆者の心得違いか?



< 一区切り > [00/12/25 記載]

  世の常では,『結願(けちがん)』 と言うそうで,『泪が止まらなかった』 という体験をよく耳にする. だが,私の場合, 『歩く』 こと自体を見据えてきたものだから,『何かが 「完結」 した』 思いがない. 他の所にも書いたが, 身辺の事情にも依る,私自身の不信心にも因る.
  正午・12時前に八十八番寺に到って,最初の感概は 『ああ,お腹が空いた!』 であった. 仏罰必定であろう.  生理的には,朝4時に朝食を摂ったのだから,正しいかも知れない. 
  アリスの 『ちゃんぴおん』 という流行歌[はやりうた]の台詞のように,『もう,いいんだぁ・・(挑戦を続けなくっても)』 と 言うほどの大層なものでもあるまい. が,心の底,意識下に,そのような思いがあるのだろうか?

  暫くして,何か,嬉しくなるものがあった. 文字にするのは難しいが,自分も一個の 『生命体』 としてここに在る・・という ことであった.  <親しい友に,それを述べるときに,「 『畜生』 であることに気づいて嬉しかった」 と書いたものだが・・>   ハッキリ言うと,これまで,八十八ヵ寺巡ると何かが視えることを期待していた自分がある. が,八十七番以来[下段に記載], 軽い虚脱感すらあった. 千キロ以上の道のりを歩いて[自転車にも助けられて],取り敢えず気づかされたことは,自分が 「にんげん」 ってなものじゃなく「ほもさぴえんす」 だったこと,「ほもえれくとす(直立猿人)」 よりも,「畜生」 であること.
  有り難うございました.  大師!  支えてくれた人々・・・, 「畜生」 脚下を支えてくれた虫たちにも感謝.



< 伝承 > [00/12/25 記載]

この辺りの林間(標高500m前後)では,古来より鹿や猪 [いずれもシシと呼ぶ] を撃つことが
生業の一つであり,おのれ達を護る術だったという.
伝承によると,猟師はある年齢に達すると 「定年」 を迎え,鉄砲撃ちをを止める.
そのとき,七日七夜飲食を断って,これまでの殺生の償いをするという.
『ノタウチの行』 と呼ばれたと板書されてあった.



< 林間にて > [00/12/25 記載]

  林間の径を行きながら,いつもと違う足もとの感触を愉しんでいた. 楢,櫟の類の落葉が散り敷いてあった. とりわけ, 大きな朴の葉は,私の顔を覆うにはやや小さいが,能の増女・小面の被りもの程の大きさがあった.
  緩やかな道が多かったので,殆んど腰掛けることはなかったが,あるとき,急に四囲の音が耳に届き始めた. 幾段か下に 書いたように,根香寺からの降りの雨宿りの後に聴いた音の感慨に近い. 林の遥か彼方で,ケラの啄木の音がした. 彼は 営巣に余念がないだけで,あるいは摂餌に熱心なだけだろうが,私には,他者に自分の存在を伝えている・・ と思えた.
  心静かな時の運びであった.



< 前山ダム辺り > [00/12/25 記載]

  師走も迫った23日に,歩き納めで,長尾寺門前から八十八番寺に向かった. 往復で30km程度の行程で,大ざっぱに 言えば,片道が,平地の道と,林間山地の道と急峻なところに,おおよそ三分される. ダムの頭の所で,遍路みちは東と西の 二つの選択を迫って来る. 曰く 『右・西道は10km余り約三時間,左・東道は8km弱で約四時間』.
  迷うことなく,左の女体山越えを選んだ. ダムの堰堤の上を進んだ後,2km弱の間は,それと同じレベルの殆ど高低差の ない舗装道が続く. 道沿いには,尺余の座佛が百体を越すほどあろうか? 黙然と座ってござる. いろいろの前掛け, とりどりの帽子. スキー帽と言えばよいか? 私の年配では,「しょうちゃん帽」 と呼んだ記憶がある,「毛糸の腹巻きの一端を 括り縛った」 ような帽子. 佛前は,里人により,よく手入れが為されている.
  穏やかな陽を受けて,谷川で,黙々と,大根を洗う老婆が居る. カンカンという音に振り向けば,棚田のような畑地に, 先ほどの座佛がそのままスックと立ち上がったような老爺が,鍬を振るっていた. 前掛けはしてなかったが,しょうちゃん 帽を被って.・・・



< なぜ歩くの? > [00/11/27 記載]

  24日に(11月の),久々に足裏を痛めるほど歩いて,25日にまた7〜8km歩いた. 在所の,しかも市中に行く用件 だったから,自転車でも,バスでも,帰りは時を稼ぐためにタクシーを使っても佳いのだが,ただただ,歩いた.
  なぜ歩くの? 私は,頭が要求するから歩くのでも,ハートが望むからでもなく,足が自ずと歩くのかも 知れない. これでは,答えになっていないか?



< 軽い虚脱感 2 > [00/11/25 着手 未完] 

  帰宅して,『軽い虚脱感』の話をした. 果たして,その夕方,三杯のワインでは酔えなかった. カミさんの 意見では,『あんたは,120%,150%体をいじめないと,気が済まない人だから・・』 と言う. 半分は 当たっているのかも知れない. 表面的には,殆んど完全に当たっている.
  『それにしても,・・』 と続く. 『それにしても,お遍路に出るときは,二三日前に教えて欲しいですね.  私にも心づもりってものがある』  私の遍路行に関して,カミさんが,その主治医に,『(あるじは)遍路から佳い顔を して帰って来る. 疲れた顔して帰ることはないのですよ. 日暮れまで目一杯遊んで帰ったガキみたいにね (だから許せる).』 と言っているのが,逆流して聞こえてくる. 『二三日前になっても,予定が決まらないのは, 私の所為じゃない.』 ・・ と言ってしまえばお仕舞いで,慌てて言葉を呑み込む.
  大抵日帰りで,山々一泊か,夜歩き無泊だから,疲れた顔にはなる筈はない. が,此の三年で,前半の一年半と 後半とでは,事情が違っている. 高知・浦戸湾以前と以降だから,地理的にも,違ってはいるが.・・・ 思えば, 後半の一年半は,『エンジン出力』 を90%,80%,・・・と順次絞りながら歩いたように思う. 加えて,既に 書いたが伊予・松山からこっちは,JRに沿って歩くので,一時間の時間と歩ける体力を温存すれば,いつでも 中断できる.
  これまで,阿波から讃岐の四つの章で,麗々しく 『遍路旅』 などと書いたが,『へんろ』 はともかく,『旅』 では 無かったように思う. 元より,『宗教未満』 ではあるが,『修行旅未満』 で,『長距離散歩』 で言葉は尽きるか? またしても, 『なぜ歩くの?』に対する答えは遠退いて往く.
  こんなに書きながら,既に,次巡のことを考えている. カミさんの意見はこうだ;− 『もう一遍歩いても 駄目ですよ,次は「熊野古道」にしなさいよ!』・・・ 眼は笑っているけれど,心底勧めて呉れているわけではない.



< 軽い虚脱感 > [00/11/24 着手 12/25 一応完] 

  なぜか,長尾寺の印象が薄い. いま,文章化し始めたのは,寺を後にして,20時間ほどしか 経過しないのに,映像の逆戻しがやや難しい. 八十余りの寺寺の中には,正直に言えば,映像が 全く戻らないものすらないわけではない. ・・・けれど.
  諸先輩の感想では,少なくとも文字記録に残された感想では,結願の寺では,「泪が茫洋として 止まらない」 とある. あと,ひとてらを残して帰る列車中での私の感想は 『軽い虚脱感』 の一語に尽きる.

  <記述再開> 陽が高い,足は痛くとも,心身が未だ疲れていないことも影響しているかも知れない. 『まだ, 一寺あるのだから』 という気持ちかも知れない. この心地は,結願の寺でどのように納まり着くのだろうか?



< 八十七番へ > [00/11/24 着手] 

  24日(11月),晴朗な日が予測されたのと,前後の日程から,振替休日を得て1日早めて,瀬戸大橋を渡った.  先回,屋島寺を下から視認しながら帰途に着いたので,その駅から歩き始めた. 早く,家を離れたので, 7時半であった.
  ここ七十四番と,次の七十五番・八栗寺(五剣山)は,急坂が多い. 平坦な林間の道は少なく,歩いてみれば, アスファルトやコンクリの道も多かった. 屋島寺の登りは佳く整備されているが,人工舗装も少なくなく, 天然素材でも,山体の一部の 「畳石」 を敷き詰めている処もある.
  屋島寺からの降り(復元された遍路みち)は,予告の通り殆どが石段状の険しい路であった. 樫の生木を 用いた階段,切石の立派な石段,自然石のステップ・・. いずれも,踏み込みより,踏み上がりの方が 大きい・・,つまり,斜度45度を超えるところも少なくない.
  八栗寺から降りきると,あとは平坦な里道で,志度,長尾と,迷うことはない. ただ,いずれも,それぞれの 門前町が今に続いているものだから,そこへ到る路は,ずいぶん昔から人工的なものであったのだろう.
  この日は,早く出発して,足早に歩いたので,長尾寺で納めの珈琲を喫んだのは,14時を僅かに 廻った時刻だった. 結願の寺に往くには,途中で日が暮れる. 仮に,バスの助けを受けるとしても,「運転開始」 と宣伝されているバスは,20分ほど前に終わっている. 予定通り,次巡に譲る. 足の裏も帰りたいと言っている.



< 捜しているもの > [00/11/14 記載 11/24 一応措筆] 

  捜しているもの・・ 先師から与えられる掲題の様なもので,捜しているもの自体を見つける得るか否かではなく, 『何を捜しているのか』が判らない,捜し物の旅なのです.
  何かが見つかったとは言いません. 踏切の警報機が鳴る直前に,ちらと頭をよぎるものがありました;−
普段纏っている小さい肩書き,生業の頸木,六十年間に貯えた算段・知識・智恵,日々のしがらみ・・  を,一つずつ 着衣を脱ぐように置き去ったら何が残るのか? 
  財布を捨て,時計も鍵も放り,・・  水も食糧も,歩くための地図も懐中電灯も沓さえも投げ捨てたとしたら, そのとき,やはり歩いている自分があるとすれば,それは何者か???
  TVや婦人雑誌のインタビュアーが好みそうな 『自分探しの旅』 と,多分,対極にある捜し物.

  未だ,何も見えていない,答えは当然見えないだろうけれど,掲題だけは,ほの見えた,・・・  あと,五寺です.



< 踏切の警報機 > [00/11/14 記載 11/15 補筆] 

  十回を超える四国行きで,番外にも寄らず,ひと寺も詣でなかったのは初めてである. などと書くと,『それまで するのは,いかな心境のなせる業』 と問われるかも知れない. 実際,私の瞳をじっと見据えて,
   『なぜ,そんなにして歩くの?』
   『なぜ,独りで,歩くの?!』
と問いつめる人に出逢ったのが引き金になったことも事実である. だが,これは,私の我が儘,わたしの『道』楽. 大師のお叱り,仏罰も 覚悟. むしろ,大仰に言えば,大師への問い返し. なぜ,10:55にオフィスに座っていた男を, 四国の大地に立たしむるのですか? 大師!
  その前からの『なぜ歩くの?/なぜ歩き初めたの?』との問に,私は,未だに答えられていない. 今回は,誤算が 招いた結果論だが,三時間で四里の道のりを歩くことで,何が見えるのだろうか?・・・と言うところに自分を 追い込む.
  昔の人々の踏み固めた道にもこだわらず,現代の大道にも依らずに歩いたので,15kmほどの間で出逢った信号機は, 七つ八つ,と数えるほどであった. 最初は,人々の営みも視野の端に見えた. 幼い子どもに出逢えば,声を掛けて 歩いた. が,仏生山を出て30分も過ぎると,人も車も石ころ・樹木のごとくに成った. ゆき当たらないように 避けるが,相手の思惑は考えない. 山中林間の行者道を歩く心地になった.
  屋島寺に登るケーブルカーの行き交いがハッキリと見える地点まで来たとき,突然,踏切の警報で我に帰らされた.  以前,土佐の山中で,手の届かないほど高い山上の列車の音で 『人間(じんかん)』 に戻ったことを意識させられたが, これと同じであった. あと,一時間ほどで陽が落ちる. 乗り継ぎ時間も含めて,更に一時間後にはオフィスに 戻っているだろう自分が居る.
  四日先には,心肺機能/循環器の小さい検診を受ける予定. ・・の自分が居る.



< 突然に,歩く > [00/11/12 記載開始 11/15 補筆] 

  12:55,讃岐の國つ宮・田村神社から,北東を目指して,歩き始めます.
  中学生の頃,ある禅師に 『五分あれば,五分座りなさい. 座禅の要諦は時間の長さじゃない』 と教えられました.  土曜日,並のサラリーマンが休日出勤して,次の火曜に出す書類に,ほぼ目処を付けました. 遍路三年目の年末を 目前にして,あと五つの寺を年内に巡り終えたいと,突然に思い立ったわけです.
  夕暮れまでに帰り着くには,歩きの持ち時間は3時間. 遍路旅は,細切れの時間に支配されるような,本来はそんな もんじゃありませんけれど.・・・  仕事場には,道具は揃っていましたが,今回の発心としては,地図も水筒も時刻表も 頭陀袋も一切持たないで出ることにしました. 本心では,時計も,上着も,もちろん財布も置いて出たかったが, 現実にはそうもゆきません.
  田村神社の社頭の道しるべが 『屋島寺まで四里』 と教えます. 頭の中にあった数字は,二里で,行動予定では 八十五番寺八栗寺まで行けるか行けないかに関心が向いていて,愕然としました. それなら,札所到達は諦めて 屋島山裾の 『屋島駅』 から帰りの列車に乗る他はないと考えを切り替えました. ひとつ,肩の力が抜けて気が楽に なりました. 途中,名刹だが番外に挙げられることも少ない 『仏生山・法然寺』 を経て,いよよ屋島寺を めざしました. 今回は,番外の中でも筆頭の 『讃岐別院』 は考慮の外に置いて,ひたすら歩きます.
  仏生山までは,『四国の道』 のしるべに従いましたが,そこから先は屋島本体が見えるので,しるべ石にも頼らない ことにしました. 既存の道に対して前方四十五度の角度に進むことになります. 中食も自販機の水分も 歩きながら摂る不作法. 休憩もなく,平均時速5kmで,蹴り足が強いため,非道く肉刺ができました.  15:45 『JR屋島駅』 に到着. 五分後に帰途に向けて発車.



< 現代アートの庭で 2 > [00/11/07 記載 11/08 補筆] 

  直ぐ下に書いた,同じ場所で,また桜の葉を掻いた. この日は,荒箒を使わないで,苔のむした地面に膝を屈して 平手で掃いていた. 良く晴れた昼下がり. ふと気が付くと,周りに人気[ひとけ]がなかった.   風が止まったとき,桜林の大地から懐かしい香りが立ちこめた. 『桜餅』(桜樹脂)の香りだった.

  最近,鳥虫の声音や,草木などの自然の香りに敏感になった自分に気づく.



< 直島にて > [00/11/07 記載 11/08 補筆] 

  瀬戸内,玉野市の沖に香川県に属する『直島』がある. 公害物質放置事件に関連して注目される部分があるが, それは措いて,企業と行政とのタイアップで,現代アートを核とした地域文化の再構築が進められている.
  友を誘なって,と言うより,道引かれて,心豊かな一日を過ごした. 思いがけず,地域で護持されている 『札所』 に遭遇 した. お目当ての現代アートにも瞠目するものが多かったが,『札所』 に出逢ったのは,不勉強でもあり,驚きでも あった. 一米立方ほどの,花崗岩囲いの祠に持仏と大師を祀ったのが標準型らしく,改修されたものもあるようだが, 道しるべや献花・献水に深い気配りが表れていた. 三十二番と二十九番が並べられた処だけ詣ったが,一里半か 二里ほどの間に,順序がやや乱れながら,祀られているようである.
  事情が許せば,ひとひ日延べして,共にゆっくり巡拝したい心地がしたが,またの機会を願って島を後にした.
  


< 現代アートの庭で > [00/11/06 記載 11/08 補筆] 

  三大名園の一つとされる,備前の國・後楽園が築庭300年を迎えて,『現代アートをとおした再確認』のイベント が開かれている. 私も,知人のインスタレーションに押し掛け参加している. つまり,勝手・ボランチで, 例えば準備・清掃などを手伝っている. 結構,迷惑も振りまいている.
  一日,桜林の中に構築された作品の廻りで桜照り葉の清掃を手伝った. 作家自身が竹箒を手にして庭を掃き清める 姿に,『禅味』の様なものを観じて手伝う気になった. 雨上がりで,『濡れ落ち葉状態』にあるものを三人ほどで 掃いた. 面積はおよそ千坪ほど在ろうか? 掃くほどに,微かな風が,また,枝を揺らす.
  『窓拭き』を思い出されると良い. 最初の五分間は夢中で磨く. 明らかに綺麗になり,清々しくなる. 一五分経つ, 心身が少し萎えてくるとき,拭き残りの汚れが目立ってくる. 拭うほどに,微かな汚れが耐え難くなる.
  兼好法師がどこかに書いているだろうか,遍路みちでも同じ思いをする. 歩き始めは,心躍り,清しい. 半ばは, ひたすらと言えば聞こえは佳いが,怒ったように歩く. 一寺に辿り着く最後の半里は,悪しきことも考える. 最初の 一寺は,これらの思いも軽い. 往くほどに,清濁の気持ちの揺れ幅は大きくなる. だが,一日の終わりの,み寺に 到った感慨は一入である.



< How to walk Henro > [00/10/11 記載] 

  八十二番・根香寺から八十三番・一宮寺[讃岐]への道のりの内の南半分,つまり,JR鬼無[きなし]以南は, 遍路みちを辿る初心の道として最適かも知れない. ここは,多分,『四国の道』に組み込まれていない,旧い遍路みち を保存したものであろうが,部分的には自転車で通ることさえ憚られる幅の処がある. 全行程が,事実上,アスファルトで 覆われているけれども.
  鬼無の駅から鉄路を離れると,直ぐに,横町のご隠居さんの植木鉢棚の前かと見まがう空間に出る. その向こうには, 実質60cmあるかないかの,昔田圃の畦だった道が続く. 全体としては南へ進むが,元の田圃の区画が四十五度ほど 傾いている所為であろう,数百メートル進むごとにジグザグと右折左折することになる. 要所には,地蔵,しるべ石,丁石 遍路みち保存協力会のマークなどがあって,殆んど迷わないが,目は風景を見ないで,マーク捜しに宙を舞うことになる.  オリエンテーリング状態である.
  私の場合,二度マークを見失って,立ち往生しそうになったが,直ぐ失地回復した. 今回は,特に,『これはおかしいぞ!』 感覚が冴えて,自動的に地図に手が伸びて,事無きを得た. トレーニングコース(?)として最適の4kmかも.



< 雨 > [00/10/10 記載/ 10/13 補筆] 

  新・体育の日に遍路に出た. 八十一番は既に参っていたので,八十番・国分寺[讃岐]から八十二番・根香寺を目指す.  先巡では,八十二番までも先に済ませるしきたりもあり得るので,それを考えたが,いわゆる『十九丁別れ』からの道のりに 掛かる往復一時間半の時間余裕がなくて,帰途に着いしまっていたから. 根香寺までの山中は,早めの落ち葉の鮮やかな黄色が 目に染みて,足どり軽く進んだ.
  天気予報は必ずしもベストではなかったのに出掛けた. 八十二番からの降りで,雷含みの大雨に遭い,60分余りの雨宿りを 強いられた. 真夏の夕立[最御崎寺目前]の経験はあるが,ほとんど初めての試練であった. 幸い,しっかりした雨具を 用意していたので,気持ちの余裕はあった.
  未だ豪雨が止まないとき,鳥の声が聞こえ始めた. 林間を小鼠が走った. 雨が止む・・・『小さきもの達』がそれを 教えて呉れる. 果たして,10分ほど後に小雨になった. 只それだけのことだが,自分の旅で探しているものの 微かな手がかりを得たような気がした. 耳を澄ませば,何かが聞こえる・・・



< 『怪我もなく』 > [00/10/03 記載 10/05 加筆] 

『はや,八十番を超えられましたか! お怪我もなく?』
「お陰様で」

大抵の方が,「凄いですね」 という風に仰言るので,新鮮な言葉でした.

何度も同じことを書きますが,私は,信心もない只の『歩きニスト』です.
いつも,細心の注意は払って居るつもりだから,怪我がないのは当たり前だと思っていました.
怪我・故障がなかったのは,沢山のひとの慈悲に護られていたから・・・ このことを忘れてました.

その傲慢を気づかせて下さった人は,市井の,私のクラフト道楽の先達ですが,
もしかしたら,今頃,西讃岐のある札所の大黒に収まっていたかも知れない人です.

今年は,初盆,秋彼岸と,悲しい想いをぬぐい拭い過ごされた末だから,
こんな言葉を軽く投げかけて下さったのでしょう.



< 破れ寺にて > [00/09/27 記載 10/03 一部加筆] 

先日,この Web にも登場する友人に,若き法然が学を修めたと言われる菩提寺(固有名詞)に案内して頂いた.
関係者の特定の誰かを責める意図はないが,無住かと思われるほど破[や]れていた.
しかし,実に爽やかな佇まいだった.
@岡山県北・美作の那岐山麓奈義町( 奈義町現代美術館 をご存じ?).

小暗い境内,明らさまに壊れた本堂,優しい形の小振りの鐘,蔵に大黒天のレリーフ.
木々の薫り,朽ち葉の匂い. 夏を惜しむ蝉.
その上[かみ]には,多宗派を擁した佛教教学の一大道場であった言う.

最低限の繕いに,何とか,力を合わせられないものだろうか?



< 御詠歌・声明 > [00/09/18] 

  ハンコ集めも,献灯,薫香もしないと書いたら,読経は?・・ と訊かれる. それもできない. それなら,歩きながら 何を考えるか?・・ と訊ねられる. 多くの場合,頭は空白である.
  思い返すと,歌を口すさんで居ることは結構多い. 御詠歌? 違う! 歌謡[ハミング]とか鼻歌の類で,具体的に書いて しまえば,坂道では,五木の子守歌であったり,ボルガの舟歌だから,始末が悪い. いわゆる,山男の歌は出てこない.  最近では,少し進歩して(宗教的?)第九の歓喜の歌であったりする. 林間の行者路でアメージング・グレースでは, 仏罰必定かも.
 


< 400km・百里 > [00/09/13] 一部加筆修正

  11日から12日に掛けて,東海・名古屋では大変な水害で,新幹線がほぼ一昼夜止まった. その列車に,心親しい友人 が乗っているはずであった. 何の手助けもできないのに,携帯電話に,安否を訊くのは野次馬以外の何者でもないが, 心配した通りだった.
  ふたりとも,外に仕事を持つ人で,しかも,使用人を持たない個人営業なので,仕事にも差し障る. むしろ,サラリーマン なら,連絡さえ取れれば,侘びを入れて,何とかなる場合も多い.
  ナイスミディ級の2人連れなので,何が起きても力併せて切り抜けられるに違いない. こちらの手の届かない,心配の 外の状況だけれど,水・食糧・・  停電と,心痛む.
  『この15日間(正味7日)に400km』などと,踏破できた幸と運とを,自賛も含めて,書いてきたが. ふと我に帰れば, 我がある地点と新幹線の停車位置は丁度400kmであった. たかが百里,されど百里. 最高級のマシンが貸し与えられたとしても, 人力では,一昼夜では到達不能なのだ. これが文明と野生の歴然とした差なのか?
 


< 聖俗往還 > [00/09/12] 一部加筆修正

下記の15日間の途中には,自宗の菩提寺[親鸞法然上人の誕生寺]を含めて往復150kmの自転車旅もしました.
四国で250km,歩き,走った[折り畳み車]ので,併せて400km.
15日間の前夜と中程とに,在所で,般若湯を頂く幸せも得ました. そして,今宵も,伊太利亜の『聖水』を頂く倖堯!



< 讃岐路で 2 > [00/09/12]

  筆者が讃岐の対岸に棲んでいる関係で,『讃岐路』は些か近すぎる. 実際,自宅を出て,2時間経てば,歩き始めることが 出来る. 加えて,南北の狭い範囲に寺院が配置されていて,一寺ごとの隔たりが6〜8kmとなり,健脚なら一足2時間程度で歩く ことが出来る. 更に,殆どの寺がJRの駅から余り離れずにあるので,体調や天候や,もしあるかも知れないハプニングに対応し 易い. 贅沢・我が儘な話であるが,現実に,自宅の裏山を散策するのと違わない簡便さでは 『困る』 / 『具合が悪い』 わけ である.
  そこへ,今回の個人的な都合から,15日間[正味では6日間]で,五十四番・延命寺から八十一番・白峰寺までの二十八寺 [それと五つの番外寺院]を巡ることができた. 俗に『遍路ころがし』と呼ばれる難所を七つ挙げるとすれば,それに入る三つの 経路もさほどのトラブルもなく経験できた. この,『家を出て遍路巡りする』のか,『遍路の合間に家へ帰る』のか判らぬ,聖俗 往還の15日間の形が問題なのであろうか?



< 讃岐路で > [00/09/12]

  9月3日を挟んで,3回連続の日曜日に遍路みちに立っている. サラリーマン遍路にとって,滅多にないことであろう.  先に書いたように,四十四番寺を超えるのに二年半掛かっているのだから・・・. 九月十一日,不完全ながら,白峰寺[八十一番] から国分寺に到った[逆打ち].   9月11日は日帰りで,思い切って軽装で出掛けた. 白峰寺の上り下りは幾分甘く見すぎであったが,先々回の横峯寺,先回 の雲辺寺で得た高低差と山中での距離の感覚を失っていないので,気持ちは楽であった. 雨に遭遇した点を除けば・・.
  次項で書くが,この 『軽快感』 は,何だか怖い. 『涅槃』 の境地がこれしきのものなら,更にコワイものがある.



 < 七十二番寺で > [後日記載]

私は,なぜか,旅先で(在所の人に)道を訊ねられる.

七十二番寺で,『三番(七十三番)はこっちかなぁ?』と,CUB号に乗った爺さまに訊ねられた.
どう見ても,在所の爺さまに違いない. バイクにはポテトチップスの箱がくくりつけてある.
『直ぐそこを,右に曲がって,お茶お接待しているところを左に上がって・・・(私!の台詞)』

突然,脈絡もなく,フィレンッエの駅での出来事を思い出してしまった.

ローマへの最終列車の出発を待っていた. 隣席の,泥酔した爺さんが
『この列車はローマ行き?』と,何度も念を押して来る. 『シィ!(Yes)』
三遍目に,車掌に確かめたら,ローマ(南)ではなく,北へ行く列車だった.
ホームの時刻表に変更の掲示はなかったが,たしかに,番線が変更されていた.
危うく,とんでもないことになるところだった.

七十四番寺に行くと,先ほどにCUBの爺さまが笑って出迎えてくれた.
二人の爺さまは,それぞれ,何者だったんだろう?



< 出立の駅にて > [後日記入]

JRの駅で,伊予三島行きの切符を買う. お釣りが五千円とコイン.
『これ(五千円札)崩してもらえません? ご覧のような 旅人 [たびにん]ですもんで・・』
駅員は,にこりともせずに,『はい,解りました!』

彼は,そのあと,腹を抱えて,笑っただろうなぁ.



 < 観音寺の駅にて > [00/09/07]

西讃岐では,観音寺の競輪は丸亀の競艇と並ぶ存在である.
その駅頭で,折り畳み自転車を組み立てていると,『車券買い』のおっちゃんと眼があった.
しっかり注目してくる.

笑ってしまった.



< 平地の寺寺 > [00/09/07]
  三日目は,神恵院・観音寺 [観音寺市] から始めて,一部の例外を除いて平地の寺寺を巡る. 拾の寺院を巡る. まだ, ひと寺ほどの余力があったが打ち止めとした. 所は多度津.   これほどの数を巡ると,残念ながら,一寺ごとの印象は薄れて,もしこれでハンコを頂くことに重点があったなら, オリエンテーリングそのものに堕してしまうと思う. 心せねば.



< 少年A・17歳 > [記載日 00/09/07]

9/4の行程を終えた駅で,『東予で,少年A・17歳』の報道に接した.
なぜ,少年・・ばかりなのか?
少女Bは,なぜ報道に登場しないのか?!

大師!



 < 雲辺寺からの降り 3 > 
  西条から三島に向けて進むときにも気づくことだが,此処まで来ると,『松と山砂(風化花崗岩)』 の瀬戸内固有の 風景が明確になる. 降りの行者道は,杉や桧ではなく,松葉が降り積もり,松毬が敷き積もったところが多い. 
  私は,地質学の知識がないので,旨く伝えられないが,伊予國を歩いた体験では,土佐境以降,幾たびも足許の土質が 変わった. 沢水の清明の度合いや僅かな味の違いも,絶えず変化していたように思う.



 < 雲辺寺からの降り 2 >  00/09/06
  私が勝手に 『行者道』 と呼んでいる山中林間の道は,人々が踏み分けた道ですから,古来から唯一不易のものであるはずは ありません. けれども,ここでは,直ぐ見えるところに廃れた道が形をとどめているところも少なくありません. 敢えて分かり 易く言えば,バイパスを車で走っていて,家々の間に昨日までは本道だった 『旧い道』 を視る思いです.
  昨日まで繁盛していた酒屋が,バイパス沿いのコンビニに酒屋の免許を貸して,店番の爺さんが急に老け込んだような,旧 さびれた商店街・・        太興寺(小松尾寺)への降りでは,そんな 『道の跡地』 を目にすることが少なくありません.  20年ほどしか経っていないもの,更に旧いもの・・ 様々です. 人々が意識するとしないに関わらず,道は絶えず再生され続けて いることを具体的に教えてくれる実例です.



 < 雲辺寺からの降り > [00/09/06] 

  ここでは [雲辺寺から小松尾寺に直行する経路では],佛体を刻んだ舟形の丁石が多いのに気づく. 多くは,数字が すり減って,判読しづらかったり,時には大きく移動させられて,丁数の勘定が合わなかったりする.
  長い道のりを歩いていると,丁石の存在を意識する時間帯と,完全に無視する心境に到る時間帯があるのは不思議である.  残りが十丁(1キロ強)になってからは,急にしるべ石を意識するようになり,最後の二ないし三丁は,時には疎ましく さえなる.



 < 六十六番・雲辺寺へ 2 > [00/09/06]

  雲辺寺には,ロープウェーも設置され,『標高が最も高い札所』とされている(自称)ので,幾らか構えて登山口をスタート した. 南から,三角寺からの順路で登るときには,道案内では,本堂まで7km・3時間とある. 実際には,2時間丁度で 到達できた. それまで新旧の国道級の道を長々歩いた末にしては,軽い感じであった. 日暮れまでに,JRの然るべき駅に 到達するために,降りはロープウエーを利用して時間を稼ぐ必要があるかも知れないと考えたのは杞憂であった. [平地に 降りてからが,予想より時間を要するのだけれども・・]



 < 六十六番・雲辺寺へ > [00/09/06]

  職業病とは恐ろしいもので,林間を歩いていても,『自然探訪』 がいつの間にか 『自然観察』 になり,昂じると 『自然探究』 になってしまいます.
  アスファルトやコンクリートの道が足に堪えることは,理屈でも解ります. もう一つ,このような道は,頭に堪えるのです.  言い換えれば,殆どの場合,このような道では,日光が直射するのです. 必ずしも,アスファルト/コンクリート自体の責任では ないかも知れません. 道幅が一定以上に広がると,『裸地』 状態になって,林が回復しないのです.

  そこで解った法則;−  林間には,その地で特徴的な樹の高さを超える幅の道を造ってはいけない.



 < ドゥジャヴュ > [00/09/06]

  カナ表記が難しい. 適当な日本語表記がないような・・

  区切って,繋いで歩き打つときは,札所に到着して区切るのが本来でしょう. が,例えば札所の間が40kmあって, その間に公共機関が発達しているときには,サラリーマンの習性では,道中の途中で切って,次回はその位置から歩き始める こともあります. それでも,間を省いたり,公共乗り物を使ってスキップ [キセル] するより潔いように思います.
  昨日は,三角寺の4〜5キロ手前で,コースを大きく外して駅近辺で泊まり,再開しました. このようなときには,敢えて 少し多めに逆行して,経路を重ねて,前日のイメージに滑らかに入って行くように努めます. 前日の映像体験と当日の実体験 を貼り合わせながら進むわけです.
  ところが,この日は妙なことが起こりました. いつまで進んでも,『昨日歩いた風景』の中を進むのです. 三角寺の 直前になって,漸く,昨日の映像が切れて,『初体験』の世界に戻れました.



 < 六十五番・三角寺へ > [00/09/06]

  98年の初恵比寿の日に歩き始めたので,此処まで来るのに960日ほど掛かったことになる. こたびは,日曜・月曜を 二度続けて,四国で過ごす運命に恵まれ(?)た. 月曜早朝,三島駅前に自転車を置いて,三角寺/雲辺寺を目指す. 讃岐側に 降りて,幾寺か巡った後に,三島に戻る計画にした.
  子規だか虚子だか知らないが,『三島随一のホテルの高楼』 と詠ましめた 「高級」 ホテルに一泊して,朝食の食堂で, 汗じみた旅装束で小さくなっていると,たちまち,作業服の一団で占拠される処となった. あとで解ったことだが,部分的に, 地元企業への出向社員(?)の宿舎代わりとして借り上げられているらしい.
  ホテルの門前で,出立の身支度をしていると,彼らを迎える『マイクロバス』がやって来た. 外見だけで言ってはいけないが, 『どや』 から 『現場』 に,労働力を詰め込んだマイクロバスが走るのは1960年代以降変わらぬ光景のように思う.

  作業衣の中年達も,また,人生漂泊の人か?