また,遍路のことなど[二巡目・阿波]


2001年3月〜 [2003年3月:ひと区切り]   


スタックアップで書いていますから,
近い日付では,下から読むほうが意味がよく通じます.

背景の色 灰桜



< ひと区切り > 03/03/14

病を得て ,退院から丁度1年を迎えます. 体調はだいぶん戻ったのですが,未だ,長丁場は無理のようです.
遍路旅は,いずれ再開したいのですが,妙な形で阿波一国で中断してしまったので,<実は焼山寺を越えていない>
『第二巡』 は,敢えて此処で区切ってしまおうと考えます.

再開するとすれば,多分,順序良く巡るのではなく,讃岐の国辺りから部分的に歩くことになるでしょう.
暫く,筆を措きます.



< 久々の遍路[・・のまねごと] > 02/07/29

  俗塵から歩き出て,ひと寺詣でて,俗界に歩き戻るのも 「遍路」 と呼んでよいのならば,およそ一年振りに,その真似事をした. 高知市に仕事で行って,3〜4時間の隙間が出来た. 市の南には 五台山・竹林寺がある. 標高140m程度の小さい丘陵の寺なので,公共乗り物を使えば,それほどの難事ではない. しかも,既に 「一日歩き通しで」 参じた所なので,行程の殆どを体は覚えている. この寺の嬉しいところは,平地からの登り降りの遍路みちがよく保存されていることである.
  大きな手術を経験して丁度半年,まだ日常生活も覚束ないし,ましてこのところの猛暑である. 坂道に掛かったところで息が切れる. 拍動も高まる. 休憩する. そのとき開き直るような気持ちが湧いた. ・・・「頂上まで,10回休憩して到達できれば,それでよいではないか」・・・
  果たして,初回の休憩と二回目,三回目の休憩の間隔は実に短かった. 三回目の休憩は,林間の木陰でゆったり取った.  やぶ蚊の猛攻に身を任せているうちに,急に心身が軽くなった. 四度目の休憩までには高度差で50mほど歩けたように思う. 六回の休憩を入れて,山門に到着できた.

  客観的に見れば,未だ,歩ける体力は整っていない. しかし,ありがたいことに,気力だけは,ここまで来ることが出来た.

  思えば,林間・木陰の路は,却って,楽なものかもしれない. 疲れたら,心置きなくヘタバリ込むこともできる. 今の季節に大変なのは,むしろ,炎天下の平地の道であろう. 平地の道を,10km,20km歩く体力は未だない.



< 久々の参詣 > 02/05/07 [05/08 補筆]

  「久々の遍路」 と記したいところだが,ちょっと違う. 第一巡のところで,高知・窪川の岩本寺への参詣が完結していなかった.  つまり,青龍/岩本/金剛峰寺の150km程の長丁場で,須崎・中村の間を列車に頼り,窪川では夜更けの30分ほどの乗り継ぎ時間に岩本寺の門外から参詣して済ませていた.
  体調の戻りに,少しばかり目途がたったので,この欠落を埋めるべく,詣でることにした.  とはいえ,山陽側から最速の特急を乗り継いで往復7時間掛かる道程を日帰りに組む.  元々,「歩く」 には未だ体力の自信がつかないので,今回は 「参詣」 を主眼とした.

  岩本寺は,JRの駅から至近にある点で特徴的かもしれない.  境内の目前に停車する例は他に2,3あるけれども,特急が止まるほどの主要駅から500m以内にあるのは珍しい.  しかも,ひと寺だけポツンとあって,前が60km弱,後ろがおよそ100km,尋常の足でも一番難しい道程である.  そんな事情だから,専ら特急列車に頼るのも良しとした.

  お寺は,小ぢんまりとしていて,事実上平地に建っていて,その意味でも,こちらの勝手な思い入れに反して地味な印象であった.  2年半振りに 「憧れて」 到来した身には,いささか拍子抜けであった.  梵鐘はかなり大振りで,姿はふくよかで悪くないが,音には幾らか失望した.  ともあれ,久々の線香の香りには心洗われる佳い旅だった.

  列車を降りて乗るまでに,約3時間ある.  地図を持たないで出て来たので,せめて,お寺への出入りの遍路みちを自分の足で確かめておこうと,前後ろを少しだけ歩く真似事をしてみた.  地形に即した旧い路/商店街通りに対して,鉄道や新国道が直線的に参入したような複合的な町並みであった.



< 休憩の終わり > 02/03/28

結局・・・,5ヶ月の空白の後に,還って来ました. 詳しい内容を此処に書くことは差し控えます.
ただし,4月の中・下旬頃までは 『筋肉運動(労働)』 は禁じられているので,
日常の活動を超える 歩き は無理かもしれません.

もうひとつの へんろ旅 [生死の境を垣間見た入院生活] では,4つのフェーズを体験して,
それぞれの状況/体調に応じて,考えることも様々でした.
通して一つ言えることは,精神 (あるいは精神力) などというものは実に脆弱なもので<私の場合ですが>,
一旦崩れ始めると,安易な,簡便な方に行ってしまうことです.  思い知らされました.
そして, からだ (体調) は,その支えを失うと,レンガ造りの建物が崩れるように,音を立てて奈落の底に落ちてゆきます.

これから,日々の生活の中で,『レンガ』 をひとつひとつ修復しながら,建物を復元します.  鉄筋は入れないのかって?
年齢的には,『建て替え』 はきかないでしょう.  多分.     宜しく願います.




< 休憩 その2> 02/01/11 [01/14 補筆]

『2ヶ月』 の予測 (皮算用) は,見事に 『4ヵ月』 に書き替えられる予定です.

直ぐ下に,『優しさ』 について知ったように書きました.  悟った如くに.  それは,文字通り思い上がりでした.
病人といっても,体力の消耗は比較的少なく,それに任せて様々な人に 『近況報告』 したり,『実況放送』 したりして仕舞います.
気が付くと,自己中心に振舞っています.  親しい友に,親しいことを良いことに,その人が優しいことに負ぶさって,
その人の日常生活のリズムを壊すほどに,自分の 非日常さ を訴えたりします.

人々の下さる,ご心配を良いことに,その人達の命を削りながら薬にしている自分に,漸く,気付かされるわけです.
『病人だから』 ・・・ と,許されるレベルではなく,結局は,自分の生き様の傲慢さが 『鏡に映し出される』 のです.

私に生活リズムを壊されつつ,自から合わせ鏡になって,そのことを教えてくれた友に感謝と懺悔の気持ちを記します.

今しばらく,旅をしてきます.




< 休憩 > 01/10/22 [02/01/14 補筆]

殊更に書くことではありませんが,健康上の理由から,2ヶ月ほどの予定で,歩かない (歩けない) ことになります.
このWebにも,暫く書き込みをお休みします.
先月末に計画した 「焼山寺越え」 を,気力体力が今一つで見送ったこと (下の項で記述) は何かの予兆だったかも知れません.
ただ,「健康上の理由」 は,さほどのことでもなく,本人は実に平気なのですが,私の年齢 (63歳半) と馬車馬みたいに走る
性格 (・・・と,皆さんは言われる) ゆえ,周囲が心配して下さいます.

詳しい年齢をばらしてしまった序でに職種を書くならば,私は教師稼業で.教師とは一人一業で,2ヶ月の休暇は
幾らか不都合が起こります. <私のプロファイルは,近々公開しようと思っていた矢先でした> 
2ヶ月が (教師にとって) 中途半端な長さだと言うては,お薬師さんに叱られますね.

休憩の間の体験は,私のことですから,また別の項目でお目に掛けるつもりですが, 鹿田の荘内日記 [工事中],

「入院前夜」 が近づくにつれて,いろんなことが見え初めます.
たとえば,ごく親しい間柄は別にして,何人かの方は,急に,とりわけ優しくして下さいます.
<こんな不遜な書き方,ごめんなさい> 
変わらず,普通に接して下さる方も結構あります. そのことを とやこう 書くのがこの文の目的ではありません. 
自分のことを振り返ってみて,「弱者」 に対して自分は,さぞ 「優しかった」 のだろうと思うのです.

たくさんの人に迷惑を振りまきながら,暫く時の流れに身をゆだねて,もうひとつの 「へんろみち」 を歩いてきます.
ではまた.




< 近郊の山歩き > 01/09/29
  2〜3時間の隙間が出来たので,近郊の山を歩いてみた.  岡山駅から東北の方角,直線で 8km ぐらいの地点に,「竜ノ口山」 と呼ばれる200mぐらいの小高い丘が在る.  この山塊の南斜面中腹には高嶋山・安養寺,南麓には湯迫 [ゆば] の弘法さんこと 浄土寺がある.  いずれも,行基辺りに端を発する,『備前四十八ヶ寺』 の残影である.  両者の間には更に古い,廃寺跡もある.   北麓には営林署の見本林があり,道も幾らか整備されていて,ハイキング・コースはここからが上がり易い.  大方の人は, 此処まで車で来て,見本林だけの人,3km のコース,結局 5km 程歩く人,・・・ というように,それぞれのペースを愉しんでいる.

  土曜日の午後の所為もあってか,学齢前の子供を連れた親子や六拾歳前後の夫婦連れらしき人達が多かった.  マウンテン・ バイクを営々と担ぎ上げて,駆け下る若者もいる.  最高の位置に,竜ノ口神社が奉じられている.参道は,この季節としては大変な作業であったろう,綺麗に掃き清められて,清清しく荘厳な空気が張り詰めていた.
  神社への上がり降りには,自然石を積んだままの 踏み込みが 50cm を越えるような階段も在る.  ここ一帯は,林間の遍路に出かける前に,体調をチェックするのに格好の位置/ 造りであるようにも思える.  昨日歩いきたばかりにしては,足の上げ下げは容易で,自信を持つことが出来た.
  結果的に,2時間余りで,自転車で往復 約 10km,平坦・緩傾斜地 3km,急傾斜地 3km のミニ・ハイキングだった.  実際の 遍路道に当てはめると,香園寺・奥の院から横峰寺に向かう,最初の 2〜3km の雰囲気が近い.  ただし,此処の標高差は 200m, そこを 1km 足らず登り切る.  かの地の標高差は最初の 2km で約 400m,最大傾斜度にすれば,似つかわしい.



< 秋の色・香り・音 > 01/09/29  10/01 補筆

  誰にでも,季節固有の色や香りがあるのでしょう.  どういうものか,このアキツシマに棲んでいると,秋は,季節の中で 特別の位置にあるように思えます.  秋の香りを人々に訊ねると,語気を強めて 「まつたけ」 をあげる人,「さんま」 の焼き方に薀蓄を 傾ける人,一ひねりして,それらに掛ける 「すだち・かぼす」 の類を語る人 (特に,四国九州では)・・・   弥谷に向かう,急な郷道を 登っていると,強い香りに逢いました.  この季節の強い香りの代表選手・金木犀でした.   個人的には,金木犀は10月初旬の花です.  昔,むかしに,旅順大連地区(中国・遼東半島)からの事実上最後の 引き上げ船を降りた (舞鶴) 少年を,故里 (今・亀岡市) が最初に迎えてくれたのが,この香りでした.  その後,瀬戸内を離れる ことがありませんでしたが,此処では決まって,その10月の4日プラスマイナス5日の間に,この香りが 「秋」 を知らせてくれます.   53回・・ と数えるのでしょうか?
  弥谷寺に近づくと,もう一つの強烈な に・ほ・ひ が迎えて呉れました.  顰蹙を覚える方もあるでしょう. それは,季節としては, (瀬戸内なら),すこし先が最盛期ですが・・・.  瓦 (当然,和瓦ですが) を二枚用意して,その反りの間を活用して,沢山の収穫物を 手際よく処理して,・・・ 
    母には 『カブレルじゃない! 洗濯だって大変』 と,強く叱られ,父は 『この腕白グルメ!』 と,ひどく上機嫌だった・・  少年の日.
  彼岸花は,今年は,何処でも総じて少し早く,殆ど炎を燃え尽きさせていました.  弥谷寺への上り口のところへは,古い道が 三丁ほど残してあって,丁石,霊場の仏達,板碑などが迎えて呉れました.  木漏れ日/竹林を透す光のなかで,赤梨青梨・朽ちかけ の林檎・艶やかな栗の実・地元名品の早生みかん・・の供え物の色が,里人の心根を伝えてくれました.

  弥谷からの降りには,遍路道が守られています.  朽ち葉の匂いと積み重なった落ち葉の足裏への感触は,歩き遍路の愉悦の ひとつですが,竹の葉・竹の皮の絨毯も悪くありません. ネブチに足を取られることだけ気を付ければ,林間の風の音,竹が打ち合う コーンという音も楽しめます.  俳人は 「竹の秋」 という季語を大切にしますが,当然,この季節にも葉を散らせます. ゆるゆる, ひらりひらり,すっすっす,と・・・ 個性豊かに散ります.  それぞれ,違う音がします.



< 別格・海岸寺と奥の院へ > 01/09/28 09/29 修正加筆

  夏期休暇を取ったものの,焼山寺越えを敢行(?)するには,気力・体力にやや自信がなかった.  加えて,二日前に天気予報が 修正になって,肝腎の歩き日ににわか雨の畏れが伝えられた.  本来,行者修行に雨風を言うものではないが,雲のごとく,水の如く ・・・と理屈をつけて,行く先や歩き方を替えることにした.  そのうちの断片を書く. なお,弥谷寺/海岸寺の梵鐘については, 梵鐘の記録 にも追加記録しておいた.
  兼ねがね,別格の寺 「海岸寺」 は気になる存在だった. 予讃線で松山方面に進むときに,多度津で,土讃線と別れを告げる 間もなく,海岸線に近づいたときに車窓にその寺が在ることは,気付かれた人もあるだろう. 大師の母者の縁の寺で,大師の出生に 関わる土地に建てられたと伝承され,産湯の井戸も残されている.
  此度は,予讃線 「詫間」 と 「高瀬」 の間の駅に降り立つことから始めた. 以前は高瀬大坊と呼ばれたが,今は,短く 「みの」 と 呼ばれる駅で,同じ音なら全国あまたあろうけれど,平かな表記の故か 「讃岐・」 とかを冠することもない.  それは,おいて. 此処から 進むと,七十一番・弥谷寺を経ることが念頭にある.  一年ぶりに再訪した弥谷寺の詳しいことは省く.  あらためて,石段の多い ことを実感した. 併せて,千段を優に越えるだろう.  一部分,緩い坂には,狭いながらスロープ状の斜面が用意され,「摺り足」 で かろうじて登れる配慮なのだろうか?
  『此処は,この石段が苦手でネ. 別名 ヤ’ダネ寺 ちゅうのよ!』 と訳知りに言う老人と 『♪や’だねったら,や’だね♪』 と冷やかす 若者の集団が通り過ぎた.
  さて,弥谷寺からの降りは,尾根越えする道を見失って,七十二番への順路から枝分かれするルートに依った.  尾根越えしな かった怪我の功名で, 先回は自転車の旅だったので,避けざるを得なかった,本来の,林間の道を愉しむことが出来た. 竹の葉の擦れ合う音,竹同士が 打ち合う音を聴いて歩いた. 

  海岸寺では (と思っていたのは,その 『奥の院』 だったのだが),車窓から見る たたずまい に かねて惹かれていたが,それ以上に 豊かな景に出遭えた. 三層の塔かと思った のは,相輪がないので不思議だなと訝った通り,二層の造りで,塔婆ではないらしい.  境内に,八十八ヶ所と別格・二十ヵ所を模した ミニ巡拝路があるのは良く見る例であったが,各々に寺寺所縁の樹木を宛てたミニ植物園にもなっていた. 面白い試みである.
  巡拝路を巡る回数で,札を納めた回数に応じて白から色物に上がってゆき,五十回だか百回だかで最高位に到達する.・・・ 病除け,学問成就,良縁結縁  一巡90余分!!!

  海岸寺・本坊は,実は,線路を隔てて,海側にあるのだが,全部コンクリート主体に立て替えられてあった.  自分の見落とし・勘 違いを棚に上げる積りはないが,「奥の院」 の風格とは較べようもない・・・ 「公共企業建築物」 然とした・・・・ 未だ書き足りない,「道の駅」 ?,市町村の物産館?  昔,むかし,寺寺が建立されたときには,人々はその荘厳に目を眩ませ,中には罵詈雑言する不届き者 も居たのだろうか?

  境内の,樹木それぞれに,樹種・来歴などを記した標識を立てて,ここでも,植物公園の価値が付与されていることには敬意を表したい.



< アケビの実 > 01/09/24

  此処へも,何度か書いたが,自宅と仕事場の間に100m級の丘が横たわっている. 秋彼岸の日に休日出勤で出る道に 山越えを選んだ.  近々の 「歩き」 を控えて,体調チェックの意味もある.  鉢巻状のコースで,先に(7/20記事)歩いたもの より更に遠いコースをみつけた.
  これも,再度書くような気がするが,この山は,低く浅いが,遍路の行者道の風合いを持っている. 例えば,八十一番・白峰寺 から八十二番・根香寺へ行く道を高度に関して三分の一に圧縮したような感じかもしれない.  もっとも,八十番・讃岐国分寺への 行き来の 「転がし道」 のような部分はない. 先巡では,此処を昨年(2000年)9月11日と,10月9日の2回に分けて歩いている.   丁度今の季節だった.
  足元に,団栗が目立つ.  傘 (帽子) の数のほうが多いのは,実を集める生き物が健在なのだろうか?  この山では,時折, 自然観察(図工の材料集め)の幼稚園児を見かけるが,彼らはここまでは這入ってこない. 歩き始め,足が暖まるまでは,足元を 実ながら歩くことが多い. ふと,アケビの実の落ちたのが目に入った. とたんに,上を向いて歩き始める.  勝手なものではある.  拾ってはみたものの,充分には稔っていない.
  蔓もついて居ないから,飾り物にもなり難い.  身近には(近距離には),こんなものを愛でてくれる人は居ない. 仕事場の 若い衆に掛かったら 「わお! 野生のアケビだぁ!」 と言われて,こちらががっかりするだけである. 脇の朽木の上に残して還った.
  白峰/根香寺を巡った日付は,あとではっきり判るのだが,この山路に散り敷く落葉・たたずむ草花は,かの日に見たものと よく似ていた.  水引草だか一人静かだか知らないもの,野生のそばに近いもの/蛙手の形の黄葉,舟形の朽ち葉・・・   あの日 には,熟れて,中味の飛び散ったアケビを見て歩いた・・・  
  歩いてみて,90%程度の体調と読んだ.  サラリーマン遍路にとっては,120%程度に高めてから往きたい. あと数日!



< 道しるべ・丁石 > 01/09/20 | 09/21 加筆

  『四国へんろ』 の縁 [えにし] で,最近,しるべ石の調査報告書を恵贈されたり,分けて頂いたりした. 市場町教育委員会の ものは切幡寺前后 [大窪寺から切幡寺/切幡寺から法輪寺・藤井寺など] について記載されている. また,神山町の大粟氏の 斡旋で,氏の労作・「焼山寺から大日寺まで」 ,神山町教育委員会編の 「藤井寺から焼山寺」 の二冊を得た.
  結果として,大窪・切幡・法輪・藤井・焼山・大日 [阿波・一宮] の行程をカバーできることになった. 感謝である. 実際に歩いて みると,しるべ石には実質・精神両面で援けられる. 時には 「一丁」 進むのに,300歩も400歩も掛かって,200mにも300mにも 感じられることもあるが,逆に言えば,しるべ石は自分の疲労の度合いを教えて呉れる. 督励の区切りにもなり,自重の薬にもなる.
  
  まさしく,不思議な え・に・し であるが,近々,再び,焼山寺越えをさせて頂く. どのような丁石・大師像が,野ぼとけの優しさで, 迎えてくださるだろうか?  先回は,丁石の数字ばかりを気にして歩いたように思う.  数字を読む余裕すらなかったこともあろう.  存在にも気づかなかった局面もある. 今度は,より丁寧に歩けそうである. しるべ石の探索で,歩みが遅くなってしまったら, 怨みますぞ!



< ほぼ,阿波一巡 > 01/09/10 

  今巡は,余所にも書いたが,公共乗り物を使って,その代わり自転車を使わない,旅を試みている. 藤井寺から焼山寺越えが 懸案として残ったが,鯖大師の先まで,一応阿波一国を参り済ませた. ほぼ毎回一泊して,無理をしなかったが,怪我なく,大きい 乗り外しもなく,過ごすことが出来た.  合掌.
  歩き・自転車では気づかなかった体験も嬉しい. 最南へは,土佐の国に踏み入りたかったので,『阿佐鉄道』 を利用した. 牟岐 線の牟岐の先,海部駅から乗り換えて甲浦駅まで,間に宍喰駅があるだけの,多分,一番短い路線(一社・一路線)であろう. しかも, 全線高架で,都会のモノレールの感じである. 調べてみると面白いが,トンネル率も多分最高で,その点は地下鉄状態でもある.
  平等寺・鯖大師・薬王寺の変則的な,『順打ち』 になったが,天候不順の合い間を縫って詣でることができた. 感謝.

  先巡の平等寺では,日暮れてから詣でたので,閉門に成っていて,『門前払い』 を受けたが,そのとき柵に書かれた触れ書きは, 『賽銭泥棒を避けるため,五時以降閉門』 の主旨であった. 今回は,そのような触れ書きはなかったが,やはり,無住の所為か, 手伝い人に,夕暮れ五時には境外に去るように求められた.



< 記憶の濃淡 > 01/08/24 

  記憶の糸を辿れば;−

  私のように,区切り区切って打つ場合,札所によって,時によって,記憶に残る印象の強さ(濃淡)が異なる. それは,天候・体調・ 行程の難易・などなどのせいにするのは簡単だが,何なのだろうか. 直前に書いた,伊予の国分寺も映像的に復元できないほど 印象が淡かった.(再訪すれば,流石に蘇ったのだが)
  ざっと思い出してみると,淡いものは,
二十六番・金剛頂寺(次の神峰寺の印象に押される)/二十九番・土佐国分寺(併設の一宮の印象鮮明・・実は,三十番善楽寺と 混乱している!!!)/四十番・観自在寺(数ヶ月 の空白の後の 「一番寺」 なれど,道中ばかりが鮮明)/龍光・佛木が渾然一体/四十六〜五十番(三坂峠の印象に負ける?)/ 榮福・仙遊/七十一番・弥谷寺[今,急に部分的に思い出した!]/七十四,七十六,七十八番やや薄い・混乱あり/
二巡するまで蘇り難かったもの,八番・熊谷寺.
  とりわけ,印象の強い御寺は,やはり難所の末に到着できた例が多い. 記載は省略する.

  実は,伊予・国分寺の前の仙遊寺・榮福寺の印象も薄い方であった. 経路の印象は映像的にかなり出てくるが,御寺自体が 容易に出てこない(出てこなかった). 仙遊寺自体の印象は,非常に断片的で,しかも,在所近くの・良寛の修行寺・円通寺(玉島)の 映像と混乱する部分がある. それが,この8月14日の国分寺再訪で,殆ど完全に蘇った. 仙遊寺へは,今回は,一足たりとも 近づいていないのに・・・ である. 国分寺再訪から,ちょうど,十日経過した本日でさえ,仙遊寺・榮福寺の間の曖昧さが徐々に 解けてくる. 榮福寺門前近くの,小川に掛かった 『幅よりも長さの短い』 擬宝珠まで付いた橋 [人が歩くための橋] が突然に 蘇ったりする.



< 鎖を繋ぐ > 01/08/14   8/20日に,遅れて記載

  巡路で言えば,古い記録の最新ページに書くところだが,時の流れに従って此処へ書きます.

  先巡で,4箇所ほど遍路の輪が途切れたままになっている. 先巡の規範で,一部分公共乗り物に依った繋ぎは許されるとしても, 一番大きいの途切れは,土佐の安芸市界隈,次いで窪川・岩本寺自体とその周辺である. 伊予路に入って,西では大洲・内子の間, 東予で菊間・今治の間だった. 盂蘭盆のさ中に,一日の時間余裕が出来たので,一番近い菊間・今治を繋いだ.
  思い起こせば,先巡では,松山駅前を朝早めに出立してから,菊間の東外れ・青木地蔵まで到った. 同じような季節だった.  歩き遍路としては,一日の標準距離を歩いた後であったが,足・脚に霊験ある青木地蔵で,皮肉にも,マメが破れて陽の高いうちに 打ち上げた. 天罰覿面!  あの日,そこから伊予亀岡駅までの1キロ半の,いかに長かったことか・・・!

  四国に渡るのは久しぶりだが,それ以上に,べた歩きするのは久しぶりだが,一時間歩くと第一巡のスタイルに戻れて,おお汗を かいた. 伊予亀岡から,少し西へ打ち戻り,青木地蔵から東へ進み五十四番・延命寺,南光坊を再訪した. 余力はあったが, 一旦終わりにして,確かに参ったのに記憶の糸がさだかでない,五十九番・伊予国分寺を詣でるために,列車で伊予桜井まで往復した.  御寺まで往けば,突然に門前で逢った老婆が(記憶の中で)出現して,陽射しの様子まで再現できたのは驚きだった. 先回は,帰途に着く前の気忙しい参詣だった. 仙遊寺の小高いところから降り下り乍ら,『直射の幾ばくかでも減らしたいがために,電線の下を選って 歩いた』 記憶は往く前から鮮明だったが,記憶の糸を,ずんずんと元へ元へと遡れる不思議な体験を得た.



< 林間を歩く > 01/07/20 一部修正 07/25

  暫く,林間の遍路道を歩いていないので,ポテンシャルを維持するために(?)在所の里山を歩いてみた. それは,山体の長さが せいぜい3kmにも満たない,高さ100m程度の,東西に広がる官有林である. 筆者にとっては,半世紀来の,いわば,『童の古戦場』 みたいな場所だが,月に一度程度は散策するので,特別な場所ではない.  ただ,ときは梅雨の明けた炎天下,時間の余裕もある ので,一番遠い道を鉢巻状に巡ることにした.
  道の主な部分は60mと80mの高度を昇り降りする緩やかな道程で,遍路道には例えるものが少ないが,強いて言えば,八十一番・白峰寺から八十二番・根香寺に到るものが近いかもしれない. ただ,あらためて地図を見ると,かの地では,300mと450m程度の 高低を経験するので,やはり較べられない. ここは,巡回用の四輪駆動車のために,コンクリートやアスファルトの舗装も 混じるが,多くの部分は枯れ葉が敷き詰められて,先日来の雨を適度に含んで心地よい感触であった.
  足元には,山繭の殻があり,路側には,狢の類だろうか拳が入るほどの孔が開いていたりする. かさこそと音がして,姿は 見えなかったが,傍らに抜け殻があったから,沢蟹が棲んでいるのであろう. 主な川筋からは,東西どちらに行っても2〜3kmある から,陸封されて,何拾世代何百世代もこの山で過ごしたのだろう. 遠い少年の日に,やはりこの辺りでであった,蟹の子孫 なのだろう.
  南側に回ると,足元に爽やかな紫色のマメ科の花が散っている. 川筋で,野の葛の初花を見たのは,つい,一週間前の友人の 誕生日の朝だった. 頭の上を捜しても,山葛の花房は見付からなかった. この山には,アケビが稔るはずで,去年もおととしも 大探しして未熟な実を見つけることはできた. アケビらしい草体は見付かったが,花が用意されているかどうかは判らず,実をつけ 得るものかどうか,ちと,おぼつかない姿だった.
  起伏は少ないが,往還二時間,かなりの汗を搾り,足に小さいマメを作ることになった.



< 老人の説教 > 01/07/24

  「道徳未満」 の話を書こうと思っていた矢先に,花火見物の不幸な事故がありました. 私は,個々の責任のあり方を論じる積りは ありませんけれど,思いつくことを書いてみます.
  まず,残念なことに,最近の事件や事故を見ていると,私達総てが 「安全確保」 の心構えを忘れているように思います. 極端な 言い換えをすれば,生きてゆくことにおいて,危険を予見・予防する 「野性」 を置き忘れているように思います. 若者に限らず,中年も 老人も身勝手です. わがままと言うより,周囲の状況判断に無頓着です.
  最近,こんな経験をしました;−    友人達3人と5階からエレベーターで降って,1階に着きました. (途中階で止まったかと 勘違いした 我々にも問題があるのだが),3人ほどの若者がいきなり乗り込んできて,上昇操作を始めます. 抗議したが,結局,3階まで連れて 行かれました. 傍若無人の漢字の語源通りです. 地階のないビルですから,彼らが勘違いしたとも思われません. さりとて, 彼らは,特別に強面な人たちでもなく,粋がっているわけでもありません. こんなとき,殴ったり,殴られたりする事件がおきるのだな と妙に納得しました.
  此処では,「降りる(箱から出る)人が先」 などという,マナー/道徳/ルールは画に描いた餅に過ぎません. 「降りる人が先」 の 規約は,ある意味では,乗り込む人のための利便性・安全性のルールと言っても過言ではありません. 路上の交通などでも,暗黙の 優先/劣後のルールが失われています. その,本来の意味が判らなくなってしまって,『弱者を守りましょう』 式の安全教育が 行き詰まっているようです.
  「(ひとさまのための)道徳高揚」 のレベルでなく,「(あなた自身の)安全確保」 のレベルで,脅迫も交えて再教育しなければ, 集団としての安全維持が難しくなってしまっているのでしょうか?
  ・・・ 年をとると,説教臭くなっていけません.



 < 歩かない日に > 01/06/17

土日と,梅雨の晴れ間で天気良いのに,身の回り仕事を片付けました. その一つが青梅の収穫.
この数年は,梅干ではなく,梅酒に仕立てます. 教科書どおりに,『へそ』 を竹串で探り出して,取り除きます.
これを怠ると渋みが残ると言います. 漬け上がった実を食べるのも口当たりが悪いとも.

『へそ』 が容易に取れるものと,実を採ったときに,既に,綺麗に外れているものがあることに気づきます.
よく熟れたものがそうなのかも知れません. それまで収穫を待つべきか?

笊に三杯収穫すると,未熟で,さりとて,これ以上大きくならない実が幾つか残ります.
そんな実は,どうすればよいのでしょう? 梅酒の中に吸収させるのが良いか?
梅の木の根元に戻して,親木の精にして,来年の再生を待つか?

唄を忘れたカナリアは・・ どうするがよいのでしたか?



 < 鶴山・太龍 > 01/06/06 後日記載

  二巡は,ゆったり歩くスケジュールにしたので,一泊で在所に戻るには,藤井寺から焼山寺越えは難しい. 越えるまでは可能でも,大日寺[一宮]に歩いて出るのが大仕事で,しかも,バスの援けを待つにしても,この4月以降は神山温泉より奥が廃線になったと伝えられる. 時季を待つことになっている.
  それに較べると,鶴山・太龍は,前後ろにバスの便が豊かで,所要時間の計算ができる. しかし,この道の難易を焼山寺越えと較べるとき,菖蒲杜若の比較になる. 藤井寺は人里の続きにあるのに,お鶴までの道程 [みちのり] ではそこへ到る山坂に距離があること,太龍からの降りも侮れないことであろう. ただし,太龍には 「日本一高い(?)」 ケーブルカーがある. 結局,二巡目も降りはケーブルに頼った. 思えば,初巡では,此処が,自転車を駆って,担いだ初旅であった.
  木陰に坐ると,風の心地良い日だったが,久々に山路を歩いて,聊か堪えた. 幾度も道端に座り込んだ. しかしその分,み寺に到ったときの,特有の思いを堪能させて頂いた. 「よく,迎えてくださった.」  無意識に,石畳の上で,膝を折って礼を述べた.
  大袈裟なようだが,途中を公共乗り物に援けられても,このエクスタシィが 『歩くこと』 の原動力になると思う.



 < 恩山寺 まえ うしろ > 01/05/16 後日記載

  何が何でも距離の長さや,時間の短さを競うような歩き方を止め,公共交通機関を使うことも避けないで,ゆったりと歩くことに決めて,3回目のチャンスを得た. 以前に,やがて焼山寺越えのときに行くであろうと,先に延ばしていた十一番さんへは,季節[5月3日]が丁度なので,戻り打って,詣でることにした. 今年は,どこでも早目の藤の花は,やはり少し盛りを過ぎかけていたが,寺名に恥じない美しさであった. そのまま,焼山寺に向かう誘惑にも駆られたが,時間配分の所為であきらめ,井戸寺に向かうことにした.
  初日は余り早い出立ではなかったので,井戸寺から南に向かう途中に宿を頼んで,翌日は其処から恩山寺に向かうことにする. 途中幾らか牟岐線を使って,アスファルト道を歩く.

  恩山寺は,その寺号が示すように,大師の母者に報恩の言い伝えの札所で,恩愛の趣が垂れ込めるところであるが,門前に可愛いものを見てしまった. 声音に誘われて見ると,乳を入れた皿が添えられてあったから,捨てられたわけではなかろうが,眼を開いたばかりの二匹の仔猫であった. その父,母をそれぞれに映したのだろうか? 外見は似つかぬ はらから同士だったが,寸法はどちらが先に娑婆に出たかさえ判別がつかない. 邪気のない鳴き声は,つれて還れとも聞こえるが,旅の空ゆえ,そうもゆかない.
  恩山寺では,山門から堂宇までは,高度差30mほど登ることになろうか? 歩き道を脇に置いてアスファルト道が作られて久しい. 山門さえも取り残されている. 山門までの一丁あるかなしかの古い遍路遺構を辿って参入し,崖っぷちの名残の道を三,四丁進む.

  立江寺は,元々,対岸の泉州紀州の人々が立江の港に至り,そこから参り始めたと言われる. また,故あって,遍路旅に身を隠そうとした男女が,仏罰を受け改心したという故事も有名である. それもこれも包み込む 「お四国」 である.



 < 再び 那岐・菩提寺へ > 01/04/19

  二つの願いを携えて,岡山県北・奈義町の那岐山麓の菩提寺へ参った. 再び,とは正確な記述ではないが,四国遍路に関わることでは,確かに二度目の参詣である. 願いのひとつは,言わずもがな,遍路を再開した報告と,この旅が途絶えることの無いためのご加護の祈念である. かかる,神仏頼みは不遜であるが,やはり頼まずには居られないものがある.
  お礼言上に行ったのは,新春,雪の残る時季であった. この度は,杉・檜の沈んだ緑の色に混じった,黄色と言うに相応しい新しい緑の中に,山桜の花びらが降っていた. 探しても,親木は見えなかった. 渓合いでは,幾種もの鳥が囀り,囁きあっていた.
  も,ひとつは全く個人的なことで,書くのをはばかる思いだが,還暦を三つばかり過ぎた今の日に,来し方の無事を謝し,いまここに生き活きて在ることの御礼を述べて来た. 会話が聞き取れぬほどに,瀧の音が渓に木魂していたが,風爽やかで,心に沁みる佳い日であった.
  上人(法然)も大師(弘法)も,そんな勝手な希みに,是とも非とも応えては下さらぬが,なにか,大きな暖かいものには肯定されて,包まれて刻を過ごすことができた気がする.



 < 石垣・築地塀 > 01/04/18

  十四番・常楽寺の境内の地面が,自然石の露頭で,奇観を呈しているのは有名である. その前後の道筋では,石垣のつくりが面白い. 石垣や塀の造りは,先回は見逃して居たが,指差す人に教えられて,しげしげと見る. 石垣の素材は,当地産出の自然石なのだろう. 鉱物としての名前は知らないが,沈殿物が層をなしたとも見えるし,珪化木の風合いにも見える. 例えば,百科事典ぐらいの大きさのものを積み上げたものや,城の石垣のように大きい面をこちらに見せているものもある.
  積み方も,城の石垣様なものがあるかと思えば,古い築地塀の漆喰が崩れて積まれていた古瓦が露われた態のものもある. 網代編みの模様に積まれたものもある.  中には,対抗するように,素材の違う丸石を積み上げている家もある. いずれにしても,画一的でない,お互いの調和が美しい.
  目地材には,セメンや漆喰様なものは使っていないようで,せいぜい三和土なのだろう. 古いつくりでは,草も生え,周囲と渾然としている. 数年の内に造られたと想像できるものは無かった. 声高に文明論を述べるのは控えておくが,セメントを基調とするものに駆逐されており,哀しいことである.



 < 既に鯉幟の季節 > 01/04/16・17

  4週間ぶりに歩いた. 初日は,霧雨程度が降ったが,次の仕舞い日は晴れ渡る日であった. 風はあったが,随所に鯉幟がはためいていて,それに相応しい気候だった. 無理をしないと決めた二日間だったが,途中に焼山寺の昇り降りが控えている. ここは,若さの盛りの健脚でさえも,時間配分が難しい. 三年前には,降りを夜歩きと決めて,気は楽だった. 往時は,今より四ヶ月ほど後の盆過ぎの季節で,この身は還暦の坂を越したばかりだったが,一方で,最初の難所で身構えるところが多かった.
  此度は,構える気持ちが消え失せているが,月曜日に伸びて仕舞う事は幾らなんでもまずい. おまけに,この良き季節,林間の道を行くのはチト惜しい.・・・ と大師に言い訳をして,焼山寺越えは質に預けて,平地だけを進むことにした. 初日,藤井寺が見えるほどの処まで到って徳島駅前に戻り,二日目は出立時刻を無理しないで大日寺(一宮)から,観音寺(阿波)まで.  これまた,井戸寺(井手寺)は行って往けない距離ではないが,次の訪問のときに委ねた.
  これまでは,信心は無くとも頭の隅に 「修行」 っぽい堅い思いがあった(七十番位までは). それからも解き放されて,風を感じ,陽射しを意識して歩くのは心地よいことであった.  蒲公英は,綿毛を風に預けたいのに,手放すのを惜しんでいる. 小川には,牛蛙のおたまじゃくしが,おどおどと,ぬるむ水を愉しんでいる.
  「解き放される」 とは,十年早い・・・ 修行が足りぬと言われるか?  大師!



 < 道を教えられる > 01/03/19

  四国を歩いていて,人々が親切なことには,私も異論がない. 先巡では,自分が気忙しく,険しい顔で歩いていた所為だろうか? 遭う人の眼差し・面差しは優しかったが,特記する程,親切を受けたことで強い印象は多くはない. 
  今回は,ゆったり歩いていたからか,こちらの風体に眼を止められたか? ふと,道角で立ち止まっていたら,先方から道を教えて下さった. 教えて頂いて,文句を言う筋合いはないが,一人のじいさんは,頼みもしないのに,先の先の,覚えられない程の道のしるべまで,述べ立てられる. 夕暮れ時だったから,宿の心配までして下さる.
  別の場面で,もう一人の壮年の男の人は,小気味よく,言葉少なに指示して下さる. 誠に申し訳ないが,

       四国路で,T と K とは大違い, T は接待 K は節介

罰当たりな遍路人である.



 < 春(?)遍路 > 01/03/19 03/24 補筆

  バス/自家用車の人々は想像したほどには,多くなかった. ただ,真摯な 「歩き」 の人は,結構見受けられた. 白衣の中高年,セーター&ジーンズの若い女性. 一心に経を唱える若い男性.
  3月17/18日・春彼岸,季節を迎え,穏やかな日に歩き始めたが,「菜の花畑の傍らを列になって進む遍路」 という絵に描いたような風景はなかった. 田圃の中の み寺・八番(法輪寺)に到ったが,駅に戻るバスの時刻が切迫していて,堂宇の中を参詣する暇[いとま]がなかった.
  名物・くさもち は,売り切れだといわれてがっかりしたが,棚の隅から出現して,頒かたれることに成った. 「棚から草もち!」 ・・・ 常套の駄洒落を言いながら,頬張り,頂いた.



 < 雨模様 > 01/03/19

  雨模様の中,第二巡に踏み出した. 一泊の予定で,翌日には降らない予報だったゆえ,無理をしない歩きに徹した. 初日半日約10km,二日目夕刻まで約20km・・ 足慣らしには,無理のない行程だった. 結局,濡れないで済んだ.
  この,「振り出し」 が負担の軽い配置・設営にしてあることには憎いものがある. 初回には見落としていた,短いながらの遍路古道にも出遭えて,心地よかった.
  阿波路の場合は,基幹の徳島駅までが,列車で2時間ないし2時間半なのも手伝ってか,今回の場合は 「事前の細かい立案」 や,それに伴う緊張感は殆どなかった. 二巡目の安心感か? 一巡を済ませる直前に(讃岐路で),スイッチがそちらに切り替わってしまったのか? 十番・藤井寺〜十一番・焼山寺の最初の難関で再度試されるのだろうか?



 < 3D映像 > [01/03/14]

  歩き始めに予定している,次の週末は,雨なのかもしれない. 先にも書いたが,歩きに出る前の一週間は,経路のイメージを自分なりの 『架空の』 三次元映像に作り上げて,脳内に徐々に蓄えて行く.
  今度は,いささか,違う. つまり,『架空の映像』 ではなく,三年ほど前の 『実像』 を脳内で探しつつ,繋ぎ合わせることになる. 札所ごとに事情は違っていて,鮮やかに蘇る場合とそうでない場合とに大きく分かれる. 思えば,一番極端な場合は,歩いて還った日にでも,映像が蘇らない地点もあるのだから・・・ 
  かねてから,実際に訪れているのに,映像的に残らない場合があるのは不思議であった. それほど,苦行の末にたどり着いたとは思わないが,意識下に,映像を蓄える余裕がないほどの 『ちから』 が作用しているのであろうか? 境内に到着できたときのエクスタシーを感じた例はないではない. そのときに,『途上の労苦を忘れた』 意味で,道中の映像が飛んでしまうことはあった. しかし,それはごく稀である.



 < 二巡目への思い > 01/03/13・新暦の弥生さなか 03/15・字句修正

  一巡目の記録にも残したが,八十八の寺を終えないうちに,次巡を予定していた無定見ものが,再びの巡拝を計画しはじめている.
近々,実行する積りである. 正月以来,私の心の中で,「怠惰な本性」 と 「事好き(祭り好き)の性向」 とが,オシクランゴをしている. 依然として,サラリーマン遍路の境遇に変化があったわけではない. 唯一つ変わったものがあるとすれば,『同行二人』 の思いを,今度の旅では,深めることになるのかな? と言う予感だけである. もとより,一巡したから,信心が深くなったなどと,大逸れたことを言う積りはない.

  そんな心を抱いたまま往くのだから,初巡より罪深い旅立ちかもしれない. けれど,先巡の最後に書いた,『自分は,一個の生き物なのだ』 と言うことを,再度,確かめ・確かめして,歩みを進めるのも許されるのではなかろうか?  大師!

  確定的ではないが,今度の巡拝は,自転車を持ち行くことは,あったとしても稀で,専ら歩くことになりそうである. その意味では,何日間掛かるか想像すら出来ない. 例えば,鯖大師 [牟岐線終点近く] から,最御崎寺[二十四番]まで 60km 弱,そこから土佐・大日寺[二十八番]まで 80km 弱の間には,バスはあっても鉄道の恩恵は受けられない. 足摺岬巡りに関しても,それに近い状況がある. どうしたものか? 歩きながら,考えることにする.



 < 新しい旅の記録 > 01/03/13・明日はW-day

  二回目の巡拝を予定しているので,また,とめどなく,書いてみることにしました.