四たび遍路[さて さて]


2005年 初春〜年末

06から 新版 に切り替えました
 


背景の色 鳥の子
TEXTの色 青褐[あおかち]

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< 05年初春に > 05/01/01

『完治』 するものではないが、 病も落ちついて 、04年3月には退職。
体調をみながら、少しずつ歩きます。  さて、どの国からと決めたものかどうか?

敢えてファイルを更新しました。


スタックアップで書いていますから、大きい塊では上ほど最近の記事ですが、
近い日付では、下に向かって読むほうが意味がよく通じます。

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● 年が往きます [05.12.20 掲示]

  丸々3ヶ月、此処には、書いていませんね。  近在を、自転車で(長距離を)走るぐらいはあったが、四国に渡ることはありませんでした。  強い理由・事情があるわけでは ありません。  例えば、週にほぼ1日(半日)ボランティアに出ます。  もう一つ、週一の、夜間ゼミナール(元職)に出たり出なかったりですから、一泊ぐらいの時間を 作り出すは全く問題ないのです。
  体調も、間もなく術後4年が来ます。  短距離を走るような急激アクションをしなければ、殆んど問題はありません。  なぜでしょう?

  そうこうする内に、慮外に、寒くなりました。  静かに年越しを過ごしましょう。  初歩きが59歳の終わろうとする年の、初恵比寿の日でしたから、丸8年が来ます。



● 熊野古道へ [05.09.19 掲示]

  序があって、紀州田辺まで行きました。  いずれ入りたい熊野古道への入り口探しの3時間。  いろいろのもの に遭ってきました。
  日記の中に書いています。  往くとすれば、中辺路の場合で、 1泊2日が2回ほどは掛かるのでしょうか?  いくらなんでも、奥駆けは、無理でしょうネ。



● 二度弔い [05.09.19 掲示]

  暫し呆然で、ここに掲示する気持ちにはなりませんでした。  8/23に書いた記事の、残された男性が、8/30
に亡くなりました。  妻81歳、夫89歳の旅立ちでした。



● お寺さん [05.08.23 掲示]

  歩くことを考えていた盆明け近くに、遠い姻戚の葬送に3日間立ち会うことになりました。 子供のない老夫婦で、
記憶に霞が掛かり始めた男性の方が取り残されて、お願いするお寺さんを選定することから始まりました。
去年の5月にも、よく似たケースに立ち会ったことを思い出します。 あの時は、跡継ぎのある、独居老人でした。
  今回は、真言の寺院の中から探すことに、かなり責任を負いました。  結果的には、近隣の、ご住職の社会活動
などへの姿勢について漏れ聞いている お寺さんの、にわか檀徒にして頂きました。
  そんな、不信心者の集まりですから、「真言」 の中の宗派については知らぬままでしたが、後に、「御室派」 と
知りました。  去年の5月にお願いしたのと同じ宗派でした。  偶然に驚きました。  その折は、後で、横峰寺を
選んで お経納めに、現実の遺墨を納めに、行きました。
  今回は納めるべき遺墨があるわけではありませんが、どこか御室派の み寺に参りましょう。

  二週間前に(↓)、このような記事を書くとは、豪も、予想していませんでした。  合掌。



● 120日・・・ [05.08.10 掲示]

    120日以上、歩いていません。  四国の地を・・・ だけでなく、およそ歩いていません。  健康上の問題とか
  があるのではなく、(このひと月は、よほどの人でも歩けませんが)チャンスの問題です。  引退して1年経過して、
  半期(正確には正味4ヶ月だけ) 非常勤の仕事を請けたことは影響しています。  但し、週に一回、90分だけ
  ですけど。  40ウン年の教師稼業が身に染みているのを感じます。  楽しい時間でした。  行き来は、
  片道40分弱の自転車通勤・・・ 2リットル半の排気量でも問題ありませんでした。 
    盆が明けたら・・・、ワンチャンスあるのだけれど。 //  Web・Log 始めました。



● E−メール [05.06.02 掲示]

  友人へのメールの一部;−
  『普通のサラリーマンは、足裏に水虫を抱えています。  私には、ヤクザな勤務でしたから、
  いつの日からか、「おへんろむし」が棲み付いています。  季節がよくなるとむず痒くなるのです。』



● 花の季節に [05.04.06 掲示]
  紙の町・いの町(平成大合併で旧伊野町から改称)で 「国際」 と銘打つ版画のトリエンナーレが開かれていると 聞いて、仁淀川界隈を歩くことを思いついた。  版画のことは、今は論評しない。
  伊野町には元々み寺はないが、この辺りでは、み寺の間隔は10km前後で、しかも当節バス路線が不確かなので、 聊か組み立てが難しい。 高知駅を基点に考えると(竹林寺出立)、鉄路からはどんどん離れてゆく。   一泊に組んで、青龍寺まで行くのは諦めた。 春野に、ユースホステルもどきの公営宿所を見つけて、雪蹊と種間の 間で、日暮れを迎えるようにした。
  足裏は痛んだが、無理のない行程だった。  2日で、およそ50km。


● 大歩危駅の桜 [05.04.06 掲示]
  特急が、大歩危の駅に止まる束の間に、構内の桜が散るのに遭遇した。  花柄の付いたままの花が、落下傘のように 風で運ばれてゆく。  ソメイヨシノびたしにされた眼には、一瞬、驚くべき光景であった。  活字やTV知識では 知っているが、我が目を疑って、慌てて樹下を調べてしまう。  いかにも、幾つかの花が形のまま地表にある。   形も崩れず、色も褪せてはいない。

    ==

  ふと、SF じみた思いがよぎった。  ソメイヨシノ と呼ばれるクローン種が全国を覆っているが、200年の 時限装置が働いて、(2050年ごろか?) 原因不明の枯れを示し始める・・・  DNA 技術の粋を尽くしても 止められない・・・

  話し替わって、WEB で 「散らない桜」 と検索すると、膨大な詩やエッセーや短文、映像が顕れる。  櫻・さくら・ サクラ・・・ この、弧列島に棲みついたもの達に刷り込まれた幻影。



● Let-Coff [05.04.06 掲示]
  遍路道の上では、喫茶店や小奇麗なカフェテラスなどに寄ることは気が引けます。  わが身の汗・埃まみれを 恥じるわけではないが、何か求道の妨げ(?!?)というような気負いの心が働くのです。  道中、肉食を特に避けるもの でもないが、意識下で、中国料理の看板は避けているようです。
  こたびは、夕暮れの近い時刻に、実に旨い珈琲を頂きました。  特別な銘柄でも、特別な焙煎・淹れかたでも なかったが、甘露(!?)でした。  今日の宿所まで、あと拾丁あまり。  で、この記事を書く気になりました。

    ==
  殆んどの方は気にも掛けられないと思いますが、このHomPag(下を向いて・・)は Let_Coff のドメイン に収めてあります。  「喫茶去」 = 茶でも飲むべし が発想の源にあるが、在職中に自分が珈琲中毒気味だった ことを自嘲・自戒して、居室に 「珈琲処・但馬屋」 の貼り紙をしていたことに端を発します。

  此処で止めとけば良いのに、・・・  もひとつ、筆を滑らせるなら、これは、「こひしょ・たしまや」 の駄洒落で、 つまりアナグラムで、「ロクブテ(六打て)」 の類の悪遊びなのです。
       私の肖像



● 距離感覚/バイパス意識 [05.04.06 掲示]
  思い起こせば、先巡では、雪蹊寺を目前にして日暮れて帰宅した。  つまり、此処で不本意な打ち止めをしたが、 その時は歩きで、出直しの参詣では折りたたみ自転車の援けを借りた。  今回は歩きで、しかも足を痛めている。  情況次第で 距離感覚は変化し、歩き方も変わる。
  たとえば、無意味な迂回をしたくないのは、いつでもそうだが、このような時には行き止まりに入ることは辛い。   その結果、無意識で、「新造の道」 を選ぶ。  体調(足の調子)の良いときは、「少しでも古い道」 を採る。   具体的に言えば、「保存会」 の道案内が推奨する道を避けてでも、集落の中の曲がった道へと進む。  「広域農道」 の上では、『何か違うんだなぁ』 と呟く。  それが、わけもなく改宗して 「信号のある道」 を選ぶようになってしまう。   勝手なものである。

  今回は、それを離れて見て、哄っている自分がいる余裕を残して、終えることができた。



● 春の彼岸に [05.03.21 掲示]
  暖かくなったので、菜の花を見たさに、遍路に出ることにしました。  6月の1日以来だから、思えば、300日 ほどの休憩の後です。  休暇の理由は幾つかあります。  中でも大きいのは、[退職して] いつでも、何曜日にでも、 四国に渡れる様になったから・・・ です。  おかしいけど、そんなものです。
  もう一つの、「呼吸が苦しい」という「抱病」を持つ身にすれば、いつでも行けるというのは、いつでも行かない 理由が作れると言うことです。 (私のような病は、「持病」と言う感じではありません。 「抱え込む」、あるいは 「抱き込む」と言う感覚なのです。) 「発心」 に基づかない 「歩きにすと」なんてそんなものです。



● 遍路に関係ないが [05.03.21 掲示]
  遍路には関係ないが、「お役所仕事」 を絵に描いたような、お話にならないことに出遭ったので、書かずには 居られない。
  運輸省(国土交通省)が、主要国道に、「情報BOX(情報ケーブル)」 を設置して久しい。  今回歩きながら、   敷設ケーブルの真上にバッジみたいなものが埋め込まれていることに気が付いた。  500円貨ほど の大きさで、アスファルトの上に丹念に埋め込まれている。
  掘削による被害防止のためで、それに異存はない。  が、・・・  ある場所には、私の歩幅で、4〜5歩に1つの 割合で存在する。  え、?? 1個500円掛かるとして [経費積算は後で述べる]、1kmで20万円??   大いなる無駄遣い!!
  それがどうした?  直ぐに2つの反問が返ってくるであろう・・・  「1)掘削防止の保険です」、 「2) 敷設コストに比して微々たるもの」・・・  <国土交通省的な答弁!>
  私が一番気になった点は、ミニ開発盛んな繁華街の真ん中ではない、巨大開発が予測される近郊農村地でもない。   国道11号と予讃線が併走している場所で、問題のケーブルと鉄路との空間余地は3〜5mの開発・転用不能な 路側である。  そこで掘削が行われるとしたら、うっかりの起き易い民間工事ではなく 「公共工事」 だけであろう。   果たして、前方1kmのところで下水道工事が行われていた。  バッジは大いに役立ったのであろう。

  ===  遍路人に、つまらん雑念を誘発しないでくれ!!  ===

  コスト試算;− バッジ単価=¥200、孔開け¥200−、埋め込み¥50−、検査¥50−

  (一応完)


● 志度寺にて [05.03.21 掲示]
  志度寺が、昨秋の、台風の被害を大きく受けていたことには驚きました。

  大楠の枝折れ(大師堂が被災)、杉の類の伐採株跡、築地塀の溶解・・・ などに痛々しい爪痕が残っていました。   寺内の坊堂の築地塀が、「紅茶に浸された角砂糖」 みたいに解け崩れていて、当初何事か起きたのか判りません でした。  志度寺は、平地・街中の寺としては、随一と言えるほど纏まった広い敷地を誇っています。 <善通寺は別格 ですから>  それが、「手負い獅子」 の趣でした。  痛々しい限りです。
  在所の人と話したところ、「汐が来て・・・」 ということでした。  後で詳しく訊いたところ、此処は海から100m はないところで、2回に亘って、高潮/真水が境内に浸入したということでした。


● 長尾寺界隈 [05.03.21 掲示]
  長尾寺から納めの寺への道は、古い遍路道が断続的に残っています。  それも、田園・山の辺の草生す路とは違って、 いかにも在所に護り育てられた風情が残っていて嬉しい道です。
  アスファルト道の上では、別の意味で、ちょっと嬉しいものを発見しました。  志度から長尾に掛けては、町村 合併で、「さぬき市」 が創成されました。  人孔 (マンホール) ウオッチャー にとっては、志度も長尾も 特徴的な人孔蓋を持つ町でしたが、さぬき市(長尾)の新ヴァージョンに、「かぐや姫」 が再録されていました。
  汎用蓋に比べて、一枚いくらのコストアップになるのか知れないが、・・・  私は、個人的には、これは無駄遣いだとは 思いません。  <矛盾かなぁ?>  むしろ、近年の合併が、地名や村の歴史や習俗を安易に消して行くことが 悲しいのです。
  遍路にかかわり深い町について言えば、鴨島町が 「吉野川市」 になりました。  この町の HP は、私の 個人評価では秀逸ですが、これなどもぜひ残して欲しいものです。  町の(新しい市の)関係者に、「古文書」 の 意味でも、残して呉れるように申し入れておいたところです。

  これは、一方の険しい現実の問題ですが;−  小学校が統廃合されて、スクール・タクシーで送迎されることを どう改善すればよいのでしょうか?  小学校は 「歩いて」 通うのが当然だと思うのに、スクール・バスでもなく、 スクール・タクシーの出現をどう受け止めるか?!


● 今回の行程 [05.03.22 掲示]
  JRを讃岐牟礼で降りて、志度・長尾を目指しました。  行程の11号線右側(南側)に、「桜」木工所 というのがあって、意欲的です。  家具のミニ・ミュージアムを持っている筈なので、立ち寄ることを狙いました。   懸念した通り、休日・祝日休業でした。
  全行程正味4時間/3里、2万歩?、でしょうか。  足裏が少し痛みました。  息は、思ったより、楽でした。




● 元旦に

退職してから9ヶ月、2回だか3回しか、四国に渡りませんでした。
特に体調が悪いわけではないが、『毎日が日曜』 と言うものでもありません。 結構忙しいものです。
はっきり書くならば、『家事見習い』 に時間をとられます。

毎日 12〜3km [中食を含めると15kmほど] 自転車を踏んでいたのが、家の外に出ない日もあります。
これでは健康維持に良いはずはありません。
元旦の昼日中になって、発念して、村の鎮守社まで歩きました。 『郷社・神神社』
せいぜい、往復で一里少々です。  歩くというほどの距離ではないが、休憩なしの65分間・・・
設計値は60分ですから、これで良いのでしょう。

蝋梅にも出遭いました。  紅・白の山茶花の散り花も踏みました。  足裏が喜びました。