歩き始め(阿波國・回想記録)

98年1月〜99年3月 実施

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二巡目に来てみると,初巡の歩き始めから,Web に上げたときまでの記録が欠落していることに気づきます.
ここでは,十二番・焼山寺以前のことについて,回想記録してみます.
回想記録なので,古いところほどアップに,新しい処をダウンに記します.




 < 最初の三番 > 2001/03/19 回想・記載

  「行程(初巡)」 などの項にも書いたが,最初の歩きは,1998年正月10日に,日帰りで午後から歩いて,三ヶ寺回った. 三年以上経過した今から回想しても,鮮やかに,蘇ってくる.
  ジーンズ&スニーカーで出てきたものにとって,一番さんの内外の 「遍路用品売店」 は,1つの脅威であった. 人々が白衣を纏うことは知っていた. けれど,(身に付けるとすれば),自分で,晒しから縫い作るものだと思っていた.    と,言いながら,金剛杖と,一枚ものの地図を求めた.
  三番・金泉寺への途中で,墓地の傍らを行く小高い路と,金泉寺に入るときに,短いけれど,田圃のあぜ道とを経験する. 私の場合,初めての経験に先立って,一般の観光地図だけを準備したが,「お遍路マップ/ガイド」 は見ることなく歩き始めた. さまざまなレベルの 「道しるべ」 が存在することに気がつくのも,この三番前後であった.
  単純な地図では,実際の距離感覚がわからないので,僧籍の人の手になる実践的なガイドブック(地図つき)を求めたのは,暫く後のことである.



 < 二回目の印象 大日・地蔵・安楽・十楽 > 2001/03/19 回想・記載/04/11 追加記載

  二回目からは 「一人旅」 だったが,やはり四囲への目配りは大分慣れてきたように記憶する. 二回目 (98年4月) は,同じく日帰りで,記録によれば,十楽寺まで行くことができた. 四番・大日寺 (阿波・板野) への最後の500mほどは,豪勢なアスファルト道が作られている最中で,バスでの参拝者にとって,アクセスが困難であった.
  大日から地蔵寺へは,緩やかな坂を下ってゆく. 折角の里道が,何度かの改修を経て,今ではアスファルト道になっている. 古い道を探しながら歩くうちに,竹やぶの辺 [ほとり] で,行き止まりになってしまった.
  安楽寺では,竜宮のような山門 (三門) を工事しているところで,迂回させられた. 豪勢な宿坊,工事中の門,庭のつくり,どれをとっても,幾らか場違いな印象があった. 七番・十楽寺は,最後の角を曲がったとき,竜宮風の三門と桜の対応に驚かされた.



 < 切幡寺前後 三回目の旅 > 2001/04/11 回想

  初巡では,最初は日帰りばかりなので,それ程容易に寺数を重ねて行けるものではない.
  八番・熊谷寺は,すべてが直前の二寺に対して,堂宇全体が質実剛健・雄大な感じだが,映像的には記憶から消えていて,(2001年3月に)再訪して改めて,往時の感慨が蘇った. 法輪寺へ近づいて行くときの印象は,既に 「行程(初巡)」 の項で書いているが,長閑な印象は時間が経っても残っている. 名物・草もち は,あらかじめ,ガイドブックで知っていたが,旨かった.

  この,第三回めの巡拝は,日帰りといっても多分一番列車で発って,最終便で還ったのであろう. 法輪寺ののどかな印象に対し,切幡寺は,険しい感じを思い出す. 幾分高いところ[標高200mぐらいかな?]にある所為だろう. 5月の,暑さの始まる時期で,十番・切幡に到る人工の昇り道,十一番・藤井寺にいたる吉野川・河川敷の道の熱さが印象的であった. いま,切幡から,藤井への距離を案内書でみると,およそ10kmだが,4時間近く掛かったように思う.



 < 焼山寺越え 夜歩き > 2001/04/11 回想

  別の項にも書いたが,焼山寺の昇り降りは,難度においても距離においても大変なところである. 距離に関しては,足摺岬巡りが横綱で,室戸が大関だろうが,室戸は比較的平坦に推移するので,それほど恐るに足らない. 焼山寺昇降は,最初に遭遇する大事業であるだけでなく,公共交通/通常の宿の助けも余り期待できないので,歩き初めの遍路ものは聊か構えることになる.
  幸い,季節が良かったので,無泊・夜歩きの二日旅を組んだ. 結果的には,大きい問題もなく,徳島線・鴨島から大回りをして,徳島線の五つ東の駅・府中に還ってくることになる. 藤井・焼山・大日(阿波・一宮)・常楽・国分(阿波)・観音(阿波).