再び・病のこと


加療・闘病(?)・りはびり


2003/06/25 アップ [退院から15ヶ月]

順不同で,少しずつ書いて居ます.  時間の流れは,上から下です.



 映像に映る 
  ●再発の可能性  手術の結果の説明で,「左胸郭内の 『撒布』 が予想より広かった.」 と告げられていた. つまり,III期のAより, 限りなく,III期のBに近いのだと・・・
  果たして,2003年5月15日の検診で,CT画像に映像が出た.  今度は,右肺に3点.  後で詳細に調べると,右の上中下葉に,それぞれ1粒ずつであった.

  後の検査を受けて再確認したところでは,5月15日の画像で明らかなのは2点だけだということになった.

  ●イレッサ  「病のこと」 にも書いたが,手術の後の点滴治療 (抗癌剤) を中断して,6ヶ月ほど経口のイレッサ錠を飲んで2003年1月には止めていた. この度も,イレッサを再開することで,抑止することを試みるシナリオになった.

  ●試験入院 イレッサに 「予想外の」 副作用が表面化したので,服用には (たとえ,再服用でも) 2週間程度入院して,体調の事前検査と服用開始後の経過観察が必要になった.  そのために,6月の初めの2週間を病院で過ごすことになった.  たまたま,病棟の新築がなって,「木の香の新しい」 ところに入ることになった.
  特段の問題はなく,予定通り,職場に復帰できた.

  ●


 その後の精密検査 

  ●7月末[2003年]
 映像の中に、腫瘍の影 (白い斑点) は認められなかった。  直ちに喜べるものではないが、「進行はしなかった」 という意味で安堵できる。


  ●10月末[2003年]  7月末に,「映像に写らなかった」 との結果を得ていたが,現在の CT の (輪切りの) 間隔は7〜8mm程度で,前後の滲み処理を経ても,6mm以下の腫瘍は確実には写らない [と,私は理解している].  直径5mmの病巣が偶々輪切りに遭遇する確率は50〜60%で、2つにひとつがヒットされるのであろう。  今回の結果は?
  結局,「写らなかった」.  厳密に言うと, (5月の) ひとつの映像の推定位置に,肺臓の 「引きつった」 痕跡が映像化された.  医学的に,確定診断ではないが,薬効が映像化されたと理解される.


  ●

 やがて,丸2年 [2003年秋]

  ●2年・・・  最初の1年は,様々な意味で大変だった.  一番の問題は,どこかに書いたと思うが,自分の 「ほど(程)」 が分からないことであった.  私は,車に乗らないが,「車間距離」 みたいな量だろうか?  教習所で教えて呉れる,標準的な車間距離というものはあろうけれど,それは,ひと様々時間を掛けて身につけるものであろう.  しかも,ひとりひとり一定の値でもなく,天候・体調・エンジンの性能/状態によって無意識に調整されるものであろう.  
  言葉を変えるならば,右の手で左の足のつま先を掴むことは,普通は,なんでもない.  恐らく,2歳ぐらいに習得して,忘れるようなものでなかろう.  手術の直後,暫くは,そんなことがもどかしくなった.  体温が,五分上がったら大変で,自分の場合の39度の熱,9度5分の熱がどうなるのか皆目分からない.・・・

  1年経過した頃に,それらが緩解していった.

  やがて,2年を迎えるに当たって,「自分は 『エンジン排気量が3/4になった』 のだょ」 と抵抗なく言えるようになった.  ゆったり歩いて時速3km,急ぎ足で時速4km半.



 受け入れること[2003.12 記載]

  ●闘わないこと  今でもカミサンは,折に触れ,彼女への 『告知』 が遅かったことを非難する.  細胞診による最終結果が出るまでの10日ほどの間に,老親 [彼女の両親] への宿泊介護の予定が入っていたので,あらかたの話をして,『最終診断が出たら,またゆっくり考えようね』 と言って置いた.  私自身は,早くから,ことの重大性は良く判っていたが,一日二日をあせってみてもどうなるものでもない.・・・・ と割り切っていた.  『闘志』 が湧かなかったとも言える.
  私の場合は,元々,風邪などに罹っても,薬などで熱を下げることは極力避けて,時間を待つ傾向があった.  ウィルス性の場合でさえ,薬で 『駆除する』 という発想が薄い.  そこへ来て,『我が身の一部』 である腫瘍は,外科的手段であっても,『追い出す』 意識にはなり難い.  『撲滅する』 などとは考え難い.

  周囲の人たちにも,『闘病しないからね.』 と宣言し,一方で 『私は,癌以外では死なないからね.』 とも言っていた.  『癌以外では・・』 には,幾らか注釈が要るかも知れない.・・・  『例えば,ここにきて,(ぼんやりしていて) 交通事故で死んだらつまらんでしょう.』  『癌にとことん付き合うからね.』 というような意味だった.

  ●遍路のこと  闘わないこと・・ の裏返しとして,目標を失わないこと・・ には,大いに気持ちを向けていた.  幸か不幸か,『定年』 という定め事が,(退院後の) 丁度2年後に予定されていた.  周囲に少々は迷惑を掛けても,その2年間は仕事を続けたいと思った.
  精神的には,絵画・立体作品・クラフトに対する興味があり,身体的には,歩く目標があった.  お大師様には申し訳ないが,遍路道を歩く,歩けるようになるというのは,私の場合,格好の目標になる.  進行癌の患者が,富士やモンブランを目指すという話も耳の底に残っていた. どこかに書いたが,退院後およそ35日を経て,4時間ほどの列車を乗り継いだ末に,約1時間だけ歩くという常人には信じられないような旅(窪川・岩本寺)をした.  また,およそ100日目の真夏の日に,100mを越すか越さないかではあるが,五台山 (高知) を這い登った.  バス停を探して,遮るもののないアスファルト道を3km程歩いた.
  500日経った頃から,讃岐一国を巡ることを考えた.  進行中である.

  ●身の回りの片付け  余り深刻な意味でなくとも,細かい覚えごとなどをメモに止めて,整理しておく必要がある.  職場の43年に達する塵芥はなかなか片付くものではない.  財産があるわけではないが,通帳類の棲み分けや,クレジット類の契約状況,インタネット上の契約など・・・ 整理整頓は一向に進まない.

  私の友人のご主人は,6ヶ月の余命を知って,そのような細々ごとを綺麗に片付けて見事に往生されたという.  友人は 『どんな遺書を貰うより,嬉しかったわ』 と莞爾としていた.  参った.  二重,三重の意味で,これには参った.  まだまだ,その域には遠い.