病のこと


告知・加療・闘病・りはびり


2003/03/14 アップ開始 [退院からおよそ一年]

順不同で,少しずつ書いて居ます.



 告知 
  ●電話  2001年初秋のある朝,仕事場の電話がけたたましく鳴りました.  9時を30分も過ぎない時刻でした.    10月5日の金曜で,昨日の午後に受けた集団検診の結果を告げるものでした.  電話の主は,言葉少なに 『肺に影が写っているので,再検査の必要があります. 説明を聞きに来てください.』 というような トーンでした.

  ●面談  保健センターの責任者は,雑談を交えながら,静かな口調で 『左の肺に,影が写っています.  再検査を受ける病院について希望がありますか?』 と伝えられました.  『特に希望はありませんから, 大学病院ででも』 と答えると,『良いでしょう.  第二外科に紹介しましょう.』
  『新聞などでも ご存知の,生体肺移植では実績があるグループですから・・』 ・・・   『安心して任せられますよ』 ・・・
    <「え? 待ってください. 未だ予想病名を聞いていませんけど!!」>

  ●診断  予約の関係で,次の週の火曜日に再検査を受けました.  大きい胸の写真には,丁度ピンポン玉 ほどの,淡い陰が,素人目にも鮮やかでした.  『お分かりの様に,私は教師です. 毎週延べ200人程の 学生を相手にします. 伝染性のものではありませんね!?』 『伝染性のものではありません.  あとで,組織を採って,どんな腫瘍か調べましょう.』 ・・・ これが実質的な告知でした.

 加療 

  ●術前検査  手術前の検査は,必ずしも楽観的なことを告げていなかった.  例えば,胸の正面前の リンパ節の CT 画像に,複数の 『腫れ』 が認められた.

  ●手術 (結果として試験切開)  午後から始まる手術もないではないが,大きい手術は午前7時ごろから 動き出す.  この場合も,日曜日の夕方から準備作業が入って,月曜の朝早く動き出した.  総ての前準備が 終わるのが,8時半頃で,それから麻酔が入り,実際の執刀が開始された [らしい] .
  覚醒したのが,昼直前だったろうか?  ん?  ん?  試験切開で終わるかも知れないことは告げられて いたが,カミサンなどは,手術室から 『出てくる』 との報を受けて,『人違いでしょう!?』 と叫んだと言う.  つまり,のどの下を切開して,下に向かって 『縦隔鏡』 を入れて,リンパ節への転移を確かめたという.  懸念 されていたように,リンパ節への転移は CT 映像から予想されていたより重篤であったという.
  病態のステージが,また,ランクアップされた.  I 期の B から,III 期 A に [3階級特進!!].   シナリオが替った.

  ●抗癌剤投与  本格的外科手術の前に,肺本体の原発腫瘍と胸正面のリンパ節を抗癌剤と放射線の両方で叩いた   ほうが予後がよいという. 日程的にも,6週間 (以上) 延びることになった.
    抗癌剤の調剤は,メモを調べれば分かるはずだが,もう忘れてしまった[2003.12.01].     思い出す気もないのが本心である.

  結果的には,放射線治療との相乗効果で,腫瘍は半分に縮小した.

  ●放射線治療  2グレイという,莫大な線量の放射線 [数 MeV の X 線と教えられた] を患部に ほぼ毎日当てる [土日は休み].    それを23回.  2グレイという量は,核物理学の分野に身を置く 私自身にも実感が湧かないが,もし,その量を全身に浴びると,数値だけで言えば,一回浴びるだけで,2人に1人は 死に到る程度の量である.  強い放射線が本源的に癌を誘発することも常識である.   『諸刃の剣』 などと,文学的な語彙に酔っている場合ではない.  ほとんど選択の余地のない選択であった.


  ●外科手術  外科手術は,8時半に麻酔開始で,覚醒は15時半であった.  トラブルのない手術としては, かなり長い.  輸血なしで済んだ由で,お陰で,予後に対する生化学的な負担は少なかったと思われる.  ずっと 後になって考えると,体力的にも良く応えたと思われ,外科学的には,見事な処置をして頂いた [と理解できる].

  開胸の結果は,胸膜や横隔膜の一部に 「撒布したような病巣の拡散 (通称 撒布)」 が見られ,外科手術の 体力消耗から回復したら,再びの,大掛かりな,抗癌剤治療が必要であろうと告げられた.  また,6〜8週間 延びる可能性があった.  病態のランクは,付けても意味がないのかもしれないが,III 期の B 相当と 理解すべきであった.  他臓器への不可視の転移も予測された. IV 期 [末期癌] の淵を覗いた.

  この時点[2002年1月末]での存命率は,恐らく,「2年後生存確率1/2」 = 2人中1人死亡・・・  「5年後 1/6 」 程度であったろう.

 闘病 

  ●「闘う?」  全期間を通じて,「病に打ち克つ」 という概念はなかった.  「がんばる(ぐわんばる)」 という言葉もなかった.  ウィルス性の疾病と違って,「癌も身の内」 という意識が強く,腫瘍を叩くことは 我が身を叩くことに他ならない.

  ●断食状態  外科手術後,胃の入り口の 「締まり」 が悪い感じでしたが,追加の抗癌剤治療が始まってから, 食欲が急速に低下して,やがて,水も受け付けなくなりました.  機能的 (身体的) な問題に加えて, 精神的に参っていました. 

  今だから [2003年12月] 書くわけではありませんが,2年後生存確率の低さには殆んど驚かず,淡々と していたように思います.  「おお,そうなのか」 と.

  ●退院  2002年3月末,追加の抗癌剤治療の継続を自分から断念して,退院しました.  3日ほど 自宅療養して,出勤しました.  「動きながら」 体を元に戻したかったからです.   <後で思えば,無謀と言われても仕方がないことでしたけど,意地を張っていた感じです.   結果的にはそれでよかったのでしょう.  癌治療の予後には,ストレスは禁物でしょうが,適度の緊張と 言うか精神的な 「はり」 は必要と思われます.>


 予後

  ●抗癌剤  2002年7月から半年間 『イレッサ』(ゲフェチニブ)を服用し,腫瘍マーカー値も映像も安定した ので,03年1月に一旦終了しました.  新聞を賑わわせたほどの、重篤な副作用は出ませんでした.

  ●副作用  入院時の加療 (X線照射を含む) の予後効果と,『イレッサ』 の軽度の副作用が重なって 出た様で,何処までがそれか判りません.  小さいこと(痒い・・など)を除けば,胃重い (胃潰瘍直前), 逆流性食道炎(吐き戻し),息苦しい (咳・痰が多い[放射線由来の肺臓炎?]) が続きました.   貧血症状は2003年正月頃まで続きました.


  ●バ○ア○ラ  経口制癌剤 [抗癌剤] の]イレッサは,健康保険が利きますが,高価です. 被保険者本人でも, 一錠が千ウン百円します.  日常用としては、高めのワイン一瓶の値段です。  命と財を直接秤に掛けることは 出来ないが,現実問題として,延命の願いを購うことなのです.
  ある日,病院からの還り道,街角で張り紙広告を見つけました.  『バ○ア○ラ 一錠¥1500− <電話番号>』   勿論保険は利かない金額ですが・・・  笑い事ではありませんね.  命を購う?  若さを購う?

  この項目を追加記入した直後に(2003.0515),右肺の CT 映像に,5mm程の 『かげ』 が映って,再びイレッサを 飲むことになりました. 手術後,16ヶ月.  <2003.06.03 2週間の予定で入院> =>  「第2ラウンド」

 りはびり 

  整形外科で言う意味のリハビリテーションはありませんでしたが,手術痕のツッパリ感や,胸水による胸郭の 膨満感は,一年経っても残っています.  時間を掛けて,自己流で,マッサージや軽い体操をして, 『体を慣らし』 ました.  それと,胸部中央の正中切開のあとの(金属による)括られた部分が,今でも, なんとなく痒みを伴います.  日常生活に差し支えるほどではないが・・・